2014年3月27日木曜日

幼児期に英語を教え込む危険(1)

2020年の東京オリンピックに向けて、英会話を身につけようとする人が増えているそうです。

ある程度の年齢がいって、母語としての日本語が固まってからの人にとってはいいきっかけになっているのではないでしょうか。

そんなことを放送していたテレビで、7歳の女の子が英検2級に合格したことを取り上げていました。

放送内容によれば、親は英語を話せないので1歳から英会話を習わせていたとのことです。



思わず、ゾッとしてしましました。

涙が出そうになってしまいました。

その子はいくつまで苦しまなければいけないのでしょうか。

その子に直接インタビューをしていましたが、日本語で答えた内容は明らかに同年齢と比べておかしなものになっていました。

親が日本語を奪ってしまったのです。


その子の発音は明らかにネイティブの英語話者から習っているものであることがわかります。

親が英語が話せない日本語の母語話者ですので、家庭で日常的に日本語を使っている限り、その子の母語が英語になることはありません。
(参照:ここまでわかってきた「母語」

その子の母語は日本語と英語がおかしな形で混ざり合ったものとなっています。

日本語と英語の両方の言語感覚がわからない、この世に存在しなかった言語を母語として身につけてしまったことになります。

もう直せません、取り返しがきかないのです。

日本語の環境の中でも英語の環境の中でもどちらの日常語のなかでも、自分の感覚のなかで折り合いがつくまでは、言語感覚の違いに苦しむことになります。


日本語の日常語の中のでの生活においては、同じことを聞いたり読んだりしても、周りの日本語の母語話者とは受け取るニュアンス(感覚)が異なってしまいます。

一番初めに気が付くのは、母親や家族と同じことやモノに対する感性が異なってしまうことです。

このような場合一般的な母親は、特殊な教育をさせた特殊性が発揮されていると勘違いして、その違いを教育の成果として甘受してしまう傾向があります。

これが、子ども本人にとってはとんでもない苦痛になるのです。

自分が周りと何かが違うことを感じ始めるのは、基本言語の習得がほぼ完了し自己をしっかり意識できることができるようになる10歳以降です。

共通の学習言語としての「国語」をほぼ身につけて、「国語」によって様々な知識や経験を身につけていく頃に、その「国語」に対する感覚の違いに悩み始めます。

特に「あなたは、ほかの子と違ってすごいのよ。」などという声掛けは、どんどん子供に疎外感を与えることになります。


私の友人にも、日本語しか話せなかった母親と幼少期を海外で過ごしたために、母語が日本語と英語の混ざったものになってしまった人がいます。

この感覚は、日本語の環境にいる時に英語感覚が、英語環境にいる時に日本語感覚が出て常に違和感を持ち続けるようになるそうです。

自分の感覚と折り合いをつけて、違和感を抱えたまま対応できるには高校生になっても難しかったとのことです。

日本の小学校に行きましたが、「国語」は何とかついていけましたが、「国語」で書かれた他の教科「算数」「理科」は特にほとんどわからなかったそうです。

何がわからないかがよくわかりませんので、どんなに説明されても塾に行ってもわからず大変苦労したようです。

うつ状態も何度も経験し、神経内科へも通ったそうですが、そのこと自体が苦痛になってしまったそうです。



純粋に母語が習得できる環境で幼児期を過ごした親はこの感覚が全く分かりません。

自分でこのような経験をした親は、たとえ海外であろうとも子どもには必ずはっきりとした母語を身につける環境を作ります。

この幼児期の数年間が、子どもの一生を大きく左右することを知っているからです。


働くお母さんが増えています。

保育の代わりに、子どもを預けて幼児教育をするお母さんも増えています。

そのお母さんたちすべてが、幼児期に子どもと離れる時間が多いことを心配しているし、恐れています。

これは本能です。

これを助けてくれる一番の存在はお母さんのお母さんです、子どもにとってはお婆さんです。


母語の段階でバイリンガルはあり得ません。

幼児に言語の区別はできませんので、英語と日本語が混ざり合った感覚が母語となってしまいます。

どんな混ざり方をするのかはわかりません。

母語としては世の中に存在しない言語として身につけてしまうことになります。


日本語は世界の言語の中でも極めて独特な特徴を持った言語です。

身につけて使いこなせるようになるまで長い時間を必要とする難しい言語です。

言語としての表現力の優秀さはあらゆるところで発揮されています。
(参照:気づかなかった日本語の特徴


幼児期に他の言語を学ぶ方法があります。

母語とする日本語の言葉(単語)の一つとして触れることです。

日本語の発音でいいのです。

単語としてパトロールカーやポリスマン、ペンやレポートなどとして日本語の言葉と同じ様に触れさせてあればいいわけです。

母親が使っていなければ伝わりません。

幼児期に外部の人間から言葉を教え込まされることが、一番いけないことです。

母語は母親から子どもに継承される言語だからです。


もう一つは歌として英語の歌を母親と一緒に歌うことです。

外国語の歌は、言語として捉えることができません。

脳のなかで扱っている領域が言語領域と異なりますので、母語に対しての影響は少ないと言われています。

無理やり教え込むことをしなければ、テレビやDVDなどでも影響は少ないと思われます。

言語は左脳で処理されますが、言葉を意識しない歌や音楽は右脳で処理されます。

日本語が母語として定着すると、雅楽の様な音楽を言語として受け取る感覚ができますが、あくまでも母語としての日本語が前提です。

母語習得期には外国音楽は歌詞を伴っていても、ほとんどが右脳で処理されているようです。


テレビに出ていた7歳の女の子は、家で弟と英語で話している場面が出ていました。

母語は母親からしか伝わらない伝承言語です。

母親の母語と異なる言語を母語とすることの危険性をもっと知ってもらいたいと思います。


日本語を母語とする者は、いつから始めてもきわめて短い期間で他の言語を使えるようになります。

まずは、幼児期にしっかりとした母語を日本語で習得することの大切を知ってもらいたいと思います。