2014年2月9日日曜日

やってみました「君が代」の謎に挑戦(2)

先回は「君が代」の詞の由来と、作曲者から秦氏との関連を探ってみました。

秦氏は大陸から渡ってきた帰化人であり、キリスト教に大変関連深い氏族であると思われます。

高度な技術を持った専門家集団であり、そのルーツをたどると、秦の始皇帝、イスラエルの北の十支族、旧約聖書からシュメール人(メソポタミア文明)につながっていくものと考えられます。

国を失ったイスラエルの民が旧約聖書のイザヤの預言に導かれて、新たな国を興すために東の果ての島国を目指します。

その国が日本(やまと)であり、そこで新たな皇統を打ち立てて国の礎を築いていきます。
「やまと」いう言葉自体が、ヘブライ語の神の民を表す言葉が日本語の音に訛ったものだ言われています。

その大きな原動力になったのが帰化人である秦氏であるとすると、イスラエルの民がアジアを渡った時代とそれぞれの時期に栄えては消えた国々が一致してくるのは偶然ではないと思えます。

国の興亡に数多くかかわってきた彼らは、自ら国を支配することではなくその高い技術を持って国を支える技術者集団としてサポートをしてきたと考えることができます。


旧約聖書の中に数多くの預言を残してきた手法は複雑であり、現在でも解明できない謎がたくさん含まれていると言われています。

その技術が日本の古代やまとことばに残されていないわけがないと思います。

そうしてみてきたときに「いろは歌の謎」や「さくらさくらの謎」「かごめかごめの謎」などの、意味も考えずに何気なく使っていた言葉の中に、聖書の預言に似た言葉を見つけることができるのはどういうことでしょうか。
(参照:いろは歌に隠されたユダヤ「さくら」の謡にも聖書の物語が「かごめかごめ」にも聖書の謎が


そう思ってみてくると国歌である「君が代」の歌詞に聞きなれない言葉があるのを見つけます。

「さざれ石の巌」とはどういうことなのでしょうか。

小学校で「君が代」を習ったころは「細かい石が集まって大きな岩となってそこに苔が生えるくらいまで永く君が代が続く」と言われた記憶があります。

歌っている時も「さざれ石/の巌となりて」が息継ぎだと指導されましたが、変な言葉だなと感じていました。


さて、それでは「君が代」をヘブライ語として読んだらどんな意味になるのか見てみましょう。
泉パウロさんとおっしゃる方がやったものです。

左から順番に、日本語、ヘブライ読み、へブライ語意味となっています。
  • 君が代は     クムガヨワ           立ち上がる
  • 千代に       テヨニ            シオンの民
  • 八千代に     ヤ・チヨニ           神・選民
  • 細石の      サッ・サリード         喜べ・人類を救う、残りの民として
  • 巌となりて    イワ・オト・ナリャタ      神・予言・成就する
  • 苔のむすまで  コ(ル)カノ・ムーシュマッテ   すべての場所・語られる、鳴り響く
歌らしく整えてみると以下のようになるようです。

立ち上がれ、神をたたえよ!
神の選民、シオンの民!
選民として喜べ、!
人類に救いが訪れ!
神の預言が成就する!
全地あまねく、宣べ伝えよ!

ここまでくれば解説は不要ですね。

神の預言が成就する救いの場に、選民として立ち合えることを喜んだ歌と言うところでしょうか。


さて、日本語の字の中でもこんな指摘をする人もいますのでご紹介します。

この歌の中で一番多く表れる文字は「代」で、三回も登場します。

「代」は漢和辞典で見てみると次のようにあります。
弋の字は木の杭を意味する。枝のある立てた木ぐいに物を掛けた形に象る。 今はもっぱら「杙」と書かれる。
またはいぐるみ(矢に糸をつけ、射たときに鳥をくるんで落とすようなしかけ)を意味する。

要するに、人+弋で、木の杭に人が立て掛けられた様を、現している訳です。

木の杭に人が立てか掛けられた様が、三回出てくることは、「人がかけられた、木の杭が3本」を示してはないでしょうか。

人が杭に立てかけられて身代わりになって射られる、しかもそれが三本ある。
そしてこのことは否が応でも下の絵を思い起こさせないでしょうか。



多少のこじつけは感じられますが、面白くありませんか?

そもそも明治の代になって作った国歌が、なんであれほど謎めいた歌でなければなかったのでしょうか。

なぜ、薩摩琵琶の「蓬莱山」からの引用であると思われる和歌を用いなければならなかったのでしょうか。

素直に「古今和歌集」から引用するのであれば、「君が代」よりももっと国歌にふさわしい歌はたくさんあります。

そのこと自体が謎を呼び、何かを隠していると思わせることになるのでしょう。

「古今和歌集」については秘伝中の秘伝と言われる「古今伝授」の存在がクローズアップされます。

近々、触れてみたいと思いますが、「古今伝授」については一子相伝、関ヶ原以降は宮中に戻り一般に触れる機会はなくなりました。

確認できる資料がほとんどない「古今伝授」ですが、想像できるものが幾つか見つかっています。

できるだけ想像力を豊かにして、取り組んでみたいと思います。