2014年2月11日火曜日

Win-Win にだまされるな

外資系の会社でのトレーニングに、win-win ネゴシエーションに関するものがありました。

手法的には理解できたのですが、最終的な落としどころが日本人には馴染まないなあと感じていました。

トレーナーはアメリカ人でした。

カタコトの日本語を交えながら、真摯にやっていたことは間違いありません。

今から思うと、言語からくる交渉における根本的な感覚の違いなのかなと思っています。






日本人の一番得意な交渉方法は歴史を見ても明らかです。

裏切られたり利用されることを覚悟の上で、腹を開いて同じ土俵に立つことによって交渉相手として向かい合いうのではなく、共通の問題にともに対処する協力者としてサポートし合うことを目指します。

したがって共通の問題が認識できるかどうかが最も重要な点となり、そこが合意できれば実際の手段にはあまりこだわりません。

相手の持っている影響力や規模を利用するための交渉もありますが、日本人の私たちにとってはそれを良しとしない感性があります。

自己の利益の前に自分の属する社会の維持・発展を優先し、そのために特別な力を持たない者同士が協力し合って成し遂げていく物語が大好きです。


Win-Win のネゴシエーショントレーニングでは、これを全く感じることができませんでした。

Win-Win という言葉を自分なりに勝手に解釈していたことに気づかされました。


私の解釈では以下のように思っていました。
利害の対立する交渉において、結果として双方に同程度のメリットがあるように決着させる交渉のこと。

トレーナーは、はっきりとした定義は言いませんでした。
日本人について少しは知っていたのでしょう。

トレーニングが終了した後で、トレーナーを含めた飲み会の席で聞いてみましたらWin-Win の本来の意味をきちんと答えてくれました。

一方的な搾取は相手に遺恨を残すことになる。
しかし、利益はできる限り大きくしなければならない、そのために交渉しているのだ。
結果として、こちらがより大きな利益を得られることになり、相手の利益が少なくまたは損になったとしても構わない。
相手に、自分が一方的に損をしたと思い込ませないための手法がWin-Win の基本の考え方である。

コストを開示して、互いの利益を設定し合う行為はナンセンスであり無駄である。
そんなことをするならば、交渉は必要ない。
作業者だけがいればいいのである。

影響力や規模の大きな方が交渉においても、よりメリットのある結果を得るのは当たり前のことである。
そのような力のないところが、少しでもメリットを得られるようにするための交渉術がWin-Win である。


具体的な個別のテクニックを含めてきわめて納得できた内容でした。

単純に言えば、むさぼり取った相手に遺恨を残さないようにするために、敗者と思わせないようにするためのテクニックと言うことだそうです。


このことを分かっている彼らは、Win-Win を決していい意味で使うことはないそうです。

日本語にすると、「言いくるめる」、「丸め込む」などの表現が適切なようです。

いくらトレーニングやっても馴染めないわけが飲み会の席で理解できました。






私たちには、Win-Win よりも「三方一両損」の方が馴染み易いようですね。

ご存知ない方のために簡単に触れておきます。

左官屋さんが三両の入った財布を拾いました。
財布に入っていた書き物から、大工の財布だと分かったので大工の家に届けに行きました。
大工は、間違いなく自分の財布だが、落としたものはもう自分のものではないので持って帰れと言って受取りません。
左官屋も、金が欲しくて届けに来たのではないと口論になりました。
とりあえずは大工の大家さんが中に入って、財布を預かりその場を収めました。

双方意地の張り合いでいつまでたっても折り合いがつきません。
大家は奉行所に訴えました。
大岡越前の前でも白州にいる二人はそれぞれが金はいらないと言い張ります。

そこで大岡越前は三両が並んでいるところに、自分の財布から一両を出しました。

「この世知辛い世の中で、双方の正直さはあっぱれである。よって、双方に二両ずつの褒美を取らす。
二人とも三両はいるとこであったものを二両となるので、一両の損である。奉行もまた一両出したので、一両の損である。
これを呼んで三方一両の損という。」

大岡さばきの一つとして、この後にオチがついて落語にもなっている話でした。