2014年2月12日水曜日

Win-Win から学んだこと

先回は交渉術としてのWin-Winネゴシエーションが、私の思っている内容とは違っているということを取り上げてみました。

その基本には、互いの利益分配などという発想は微塵もないのですね。

むさぼり取った相手に対して、いかに遺恨を残さず、「やられた」と思わせないかと言うことが基本になっています。


アメリカと言う文化の中で生まれてきたものですから、そこまでのフォローをするのだと思います。

総論的に言ってはいけないと思いますが、今までの経験から言わせていただくと、中国・韓国との交渉においてはそのフォローもなしにむさぼり取ることだけだと思っています。

国際ビジネス研修などで、ネゴシエーションのロールプレイングを実施すると驚くことがたくさんあります。





特に、中国・韓国から派遣されているビジネスマンには驚かされます。

彼らは若いけれども将来を約束されたヤングエグゼクティブです。

交渉事も大切なものについては当事者として自ら行う人たちです。


驚くことは利益を配分すると言う考え方がありません。
相手も利益が必要だと言う考え方がありません。

適正コストと言う考え方がありません。
自らの利益のために利用する、そのための適正コストは存在せず、目標コストはすべてのことについてゼロです。

相手の影響力や能力を借りると言う考え方がありません。

物を造りだすことにあまり価値を置かず、販売することに重点を置きます。


Win-Win のトレーニングの後に彼らとのロールプレイングをやりますと、Win-Win がとんでもなく公平で良心的なものに思えてきます。

彼らは日本人との交渉においてWin-Winを口にすることが有効なことを学んでいます。
実際の場面で経験された人も多いのではないでしょうか。






言葉としての「Win-Win」は日本人にとってはとても心地よく響きます。

「引き分け」という日本語が持つ独特の和合の精神に近いものとして受け取ってしまいがちです。

勝ちか負けのどちらかしかない彼らの感覚では、ドローは「引き分け」の感覚ではなく結論の出ないことをやった無駄と受け取ります。
やったこと自体に価値を見つけないのです。

彼らの感覚では「Win-Lose」の関係が当たり前の関係ですので、「Win-Win」という言葉自体が一種の胡散臭さをもって受け取られます。
そして中身を知って「そうだろうな」と納得するのです。


それに対して日本人が考える「Win-Win」は、お互いに利益を得るという感覚になります。
両者ともにメリットを享受できると考えます。

その前提に基づいてビジネスを進めると考えてしまいがちです。

「引き分け」に対して勝手に、両者が勝ちという感覚を持ってしまうのです。

決勝戦で「引き分け」を作ってしまい、両者優勝と言う訳のわからないことをやってしまうのです。


Win-Win の基本的な考え方は日本の商売のやり方に学んだという説があります。
日本の総合商社がその機動力と情報力を武器に、商慣習や常識の異なる業界を越えたビジネスの組み合わせを実現していったことにヒントがあると言われています。

一つのビジネスにおける商社自体の利益は小さくとも、そのビジネスが大きくなることによって様々な商売と利益がつながってくることになります。

自分の商売ではなく、相手の商売のことをともに考えることで協力体制を築けないと難しい活動です。
事業そのものを共に創っていくパートナーとしての考え方がないと成り立ちません。

ここにあるのは事業としての真のパートナーシップです。
これがないと成立しません。
利益・コスト構造までを共有して、ともに事業推進して利益を配分し合うということが必要になります。

日本以外の感覚では総合商社の機能そのものが成り立ちません。
世界に誇る日本型ビジネスの典型が総合商社なのです。

現在ではその機能がいろんな分野で分担されてしまって、本来の機能を果たせなくなっていますね。
基本機能であった機動力と情報力で絶対的なポジションを維持できなくなったからだと思われます。



アメリカ人と話していても、最近では「Win-Win」を聞くことがほとんどなくなりました。

たまに聞くときは冗談の中で使われるときくらいですね。

日本人にとっては勝手な解釈が自分たちの感覚に合うために、耳に心地いい言葉の一つになっています。

これからはこのような言葉があらゆる分野で出てくるのではないでしょうか。


外国からの輸入文化倒れ、輸入ノウハウ倒れになっている現在、もともとあった日本のうまく機能していたことに目を向けてみることが必要ではないでしょうか。