人としての基本機能が、幼児期の使用言語によって大きく影響されているようです。
人の発達メカニズムは、様々な研究や観察によって少しずつ解明されていますが、わかっていないことの方がはるかに多い分野です。
本能的に仕込まれたメカニズムによって、環境に適応しながら機能を発達させていくわけですが、どんなことが影響を与えているのかは推論の範囲を出ていないと思われます。
その中でも、ほぼ間違いがないであろうと言われているのが母語による影響です。
幼児期の間は、人としての基本機能の形成が目的ですので、そこでの母語の影響は大きなものがあると考えられます。
ことに、知的活動のための基本機能は、そのほとんどが母語によって作られていると言われています。
生命維持のための基本機能が、遺伝子に組み込まれた情報によって本能的に形成されていくことに対して、知的活動のための基本機能は、母語という媒体によって、母語に適した機能に半本能的に発達していくものと思われます。
「幼児期健忘」の現象が見られる時期が、個体差や性差よりも民族によって歴然とした差がつくのは、母語として身につける言語によるものではないかと考えられます。
音数の少ない、語彙の少ない言語を母語とする場合は、比較的早い時期である3歳前に「幼児期健忘」が現れるようです。
反対に、日本語や中国語のように音数や語彙の多い言語においては、5歳近くになって現れるようです。
この差について、民族的な差として発表された研究もありますが、言語による差とした方が適していると思われます。
今まで、母語についてはできる限り多方面から見てきましたが、思っていた以上に大きな影響を持っているものであると驚いています。
人間形成においてこれだけ影響力が大きなものが、なぜもっと広く知られていなかったのか不思議な思いがあります。
恐らくは、関わる分野が多領域に渡ることから専門家がいないことや、「幼児期健忘」によって調査できる期間が極めて短いことなどが理由なのでしょう。
また、普通に日本で子育てをしていれば、半本能的に習得していくために放っておいても問題にならなかったこともあると思われます。
母語の習得に注意が払われなかった影響として、現実として小学校以降の帰国子女の国語対応力に問題が発生したりしています。
現在では、幼児期の英語教育が何の確証もないままに勧められています。
母語は複数の言語を区別して身につけることができないことがわかっています。
二つの言語を教え込んでも、バイリンガルにならないことは分かっているのです。
母親の言語が日本語である場合に、幼児期に英語を教え込むと、中途半端な日本語と中途半端な英語が混ざったものを一つの言語として身につけてしまいます。
どちらの言語感覚もきちんと身につかない、おかしなものが出来上がります。
親が子供の将来を思って行ったつもりの教育が、子供を苦しめる結果になってしまうのです。
幼児期の無理な教え込みが、自然な発達に悪影響を与えてしまうことは、英才教育の結果などから広く知られていることです。
知的活動のための基本機能に影響を与えることが分かっています。
日本語という世界に誇る言語を持つ素晴らしさと共に、母語の大切さについての啓蒙と発信を頑張って続けていきたいと思います。