古代日本語である「やまとことば」にヘブライ語(イスラエル語)の影響が色濃くあるのではないかという検討は何度か行なってきました。
(参照:「やまとことば」とヘブライ語)
古代のヘブライ語で書かれた最も有名な書物は「ヘブライ語聖書」です。
旧約聖書と言ったほうがわかりやすいと思います。
ヘブライ語は古代にパレスチナに住んでいたヘブライ人が母語として使っていた言語です。
ヘブライ人は古代イスラエル人・ユダヤ人とも呼ばれ、第二次大戦中までは日本においてはセム人と言われていたこともあります。
現代においては「ユダヤ人」という呼び方がほぼ一貫して使われています。
ここでは一番馴染み易い「ユダヤ人」という言い方でいきたいと思います。
ユダヤ人は歴史上、何度かのディアスポラ(離散)によって国を失うことを経験しています。
大きなものだけを見ても、アッシシリアの侵攻による北イスラエル王国の滅亡(紀元前721年頃)、新バビロニアによる南イスラエル王国の滅亡(紀元前586年頃)、ローマ帝国によるユダヤ人居住の属州とのユダヤ戦争(70年頃)の3回が挙げられます。
国を失ったユダヤ人が現在のパレスチナ・イスラエルにあたる地域にローマの属州として住んでいました。
その意味ではユダヤ戦争はローマ帝国の中での内戦と言えます。
ユダヤ戦争以降、ヘブライ語は一部のユダヤ教の儀式において使用されるのみとなり、一般的な話し言葉としては完全に姿を消します。
扱いとしては死語になっていたことになります。
しかし、20世紀になってヘブライ語は日常言語として復活を遂げます。
これが現代ヘブライ語です。
日常語として用いられなくなっていた時代でも、ヘブライ語による著述活動は約1800年間、途切れることなく続いていたのです。
その意味では完全な死語ではなかったと言うこともできるのでしょう。
当時、ヘブライ語は神の言葉であり、世俗的な言語として使用するのは冒涜であるという考えがあったようです。
19世紀にロシアからパレスチナに移り住んだエリエゼル・ベン・イェフダー(1858年 - 1922年)は、ヘブライ語を日常語として用いることを実践した人物です。
彼はほぼ独力でヘブライ語を話し言葉としての日常言語に復活させました。
彼の息子ベン・ツィオンは生まれてから数年間はヘブライ語のみで教育され、約2000年ぶりにヘブライ語を母語として話した人物となりました。
古代の言葉が復活して日常的に使われるようになったのは、ヘブライ語が歴史上唯一の出来事です。
1919年に現代ヘブライ語はパレスチナにおける公用語のひとつとなります。
そして、現代においては他の言語に替わって、イスラエルに居住するユダヤ人の日常語となっています。
エリエゼル・ベン・イェフダーの業績についてはあまりに多すぎて、とても一人の人間の成し遂げたこととは思えません。
興味のある方は是非、覗いてみてください。
(参照:Wikipedia エリエゼル・ベン・イェフダー)
日本の歴史においてユダヤとの関係を否定することは、ほぼ不可能だと思われます。
(参照:伊勢神宮にユダヤの陰が)
日本の記紀神話と旧約聖書との共通点も無視できないほどあります。
(参照:記紀神話と聖書の予言)
日本語とヘブライ語の関係も無視できないものがあります。
(参照:やまとことばとイスラエル語)
日本の祭りとイスラエルの祭りの共通点はなぜこんなにあるのでしょう。
(参照:祇園祭にイスラエルとの接点が)
「いろは歌」に聖書の言葉が隠れているのは偶然でしょうか。
(参照:「いろは歌」に隠されたユダヤ)
ユダヤ=ヘブライ=イスラエル=旧約聖書、はすべて日本の歴史に関わっているとしか思えません。
これも楽しい歴史探訪ですね。