2014年2月28日金曜日

本当に伝わる言葉

思いを込めれば込めるほど言葉は短くなる。

私は、このことに対して今まで疑問を持っていました。

自分自身の経験からすると、「人は思いを込めれば込めるほど饒舌になる。」と言ったほうがいいのではないかと思っていました。


これを確認できる機会に恵まれました。

3日間で240名もの人が、一人ずつ本気で本音を語る場です。

最後は、240名を前にして一人で自分の想いを全員に伝える場面にも出くわしました。
もちろん、話すことすらできない人や話せても伝わらない人など様々です。




240名の前で一人で何かを話すことは緊張します。

何故、緊張するのでしょうか?
緊張しない人や、緊張しない場合はどのような時なのでしょうか?

緊張の理由は、自分があるいは自分の話しがどう思われるかと言う評価が気になるからです。
人に悪い評価を受けないか、いい評価をしてもらえるかが気になるからです。

失敗をしないかが気になるからです。
失敗とは、結果としていい評価を得られなかったことに他なりません。

そして、
その評価が、自分が認められるか否定されるかと言う人間としての価値までを決めてしまうと感じるからです。


少しでもいい評価してもらおうとして準備をします。
服装を考えます、態度や姿勢までを考えます、場合によっては場作りまでも考えます。

時には、そのための模擬評価をしたりもします。





評価が気にならなければ緊張する必要がありません。

報酬をもらって話す場合でも、報酬に見合った以上の評価が得られるかどうかが気になれば緊張しますし、気にならなければ緊張しません。

人数は関係ありません。
ただし、人数が増えれば増えるほど、いい評価をしてくれない人の絶対数が増えることになりますので、100人の前では緊張しなくとも1,000人の前では緊張したりすることが起こります。

報酬をもらって講演活動をしている人でも、常に緊張する人もいれば全く緊張しない人もいます。
場馴れとは、経験によって評価を気にする度合いが低くなってきていることを示すことだと思います。


一般的に人は他人の評価を気にして、よりよい評価を得たいがために努力するものですが、中には他人の評価を気にしない人もいます。
また、
他人が評価する項目や内容によっては、気にするポイントが違っていたります。

研究成果の内容については、評価がとても気になりますが、服装や態度についてはほとんど気にならない研究者は結構いるのではないでしょうか。





通常では、他人にどんな些細なことでも否定的な評価(批判)をされるときになります。
すべての面において良い評価を得たいと思います、あるいは悪い評価を受けたくないと考えます。

自分が、「このことについての評価はどうでもいいや。」と決めないと、なにかと人の評価が気になってしまいます。

それは評価者が他人でなくとも、家族や友人知人であっても同じことです。


そして、この人の評価が気になる度合いが高い内容が、自分が価値を置いていることになるのだと思われます。
自分の価値観を構成している要素と言うこともできると思います。


いい評価を得ようして話す時には、饒舌になります。

そのことに対しての知識も情報もそれなり持っていますから、いかに素晴らしい内容であるかを一生懸命伝えます。
身振り手振りも入ってきますし、理論も根拠もしっかりしており説得力もあります。

短い期間で一人ずつ、何十人もの話を聞くととてもよくわかります。

でも、
そこで受ける感覚は、「なるほどね。」です。
いい評価を欲しいと言う意図が露骨に感じられるのです。
時間がたてばたつほど、話を聞けば聞くほど、詳細になればなるほど強く感じられます。

目の前で話していますので、一生懸命になればなるほど見事に露骨に全身から感じられます。


次に行われたことは、同じ内容について伝える側が本当にどう思っているのかを徹底的に考えました。

自分のこととしてその内容をどう感じるのかを考え、自分として絶対にやりたい、やり遂げたい内容にしました。
そして、
何故やり遂げたいのかを自分のこととして掘り下げました。


同じように一人ずつ話を聞きました。

正直に驚きました。

ほとんどの人が、気持ちがこもって感情が高まっていますので、理論や根拠などめちゃくちゃです。

でも、
それがものすごくよくわかるのです。

派手なアクションはありませんが、全身から思いが押し寄せてくるのが本当にわかるのです。

言葉はどんどん短くなっていきます。

こちらの評価ではなく、自分の思いを何とか伝えたいという波が押し寄せてくるのです。


すると、こちらの感情が変化します。

何か手伝えることはないか、サポートできることはないか、と自然に考えるようになります。


すべての人が、本当に腹の底から出しきれたわけではありません。

その差は、話し始めるとすぐにわかります。

いったんそうなると、格好のいい論理や綺麗な言葉をどれだけ聞いても何の変化も起きません。


初めは見極められるかどうか自信がありませんでしたが、本当によくわかります。

誰が受けてみてもわかると思います。

話し手としての立場やトレーニングは何度もやって来ていますが、受け手としてこのような経験ができるとは思ってもいませんでした。

間違いなく、「思いを込めれば込めるほど言葉は短くなる。」です。