2014年2月25日火曜日

日本語の特性を生かした「書く」技術

「書く」ことにについて何回か見てきました。

今回は日本語の特性から見た、日本語の特性が生かせる「書く」ことを考えてみたいと思います。


文字としての日本語の特性は、なんといってもアルファベット言語とは全く違う漢字を使った言語であることです。

漢字と言う、文字にしたときに一番チカラを発揮する表意文字を持っていることです。




この漢字の使い方が書いたものの善し悪しを決定してしまいます。


「書く」時に一番大切なことは、何のために書くのかをはっきりと認識することです。

自分の発想の一助としてメモ的に「書く」ことと、相手に思いを伝えて何らかの行動を起こしてもらうために「書く」のでは、書き方が随分と変わってきます。

また、書いたものの保存場所や公開方法も書き方の大きな影響を与えます。


話し言葉と違って、「書く」行為の特徴は、そこに形として残ることにあります。

どのような目的のために書かれた者でも、単なる記録(記憶の補助)として書かれもの以外は、一度書いてそれっきりと言うことはありません。

いったん書かれたものに対しての修正・校正・推敲が行われるのが自然な流れです。


言い方を変えれば、思考のためのメモ書きにしても文学小説の原稿にしても、修正・校正・推敲・加筆などをするために書いているということができます。

より目的に沿った内容や文章となるように磨き上げるために、まずは第一稿として「書く」ことから始まります。

通常は、何らかの目的に沿って、思いつくままを一気に「書き」なぐる行為が最初になるのではないでしょうか。

この第一稿が書けるかどうかが最初のポイントです。

普段から「書く」癖をつけておかないと、なかなかこの第一稿が書けません。




この第一稿をキーボードで打ってしまうと、せっかくの日本語の特性が生かせません。

文字にすることによってより理解が深まるのが漢字ですので、自分で「書く」ことによってこそ表意文字である特徴が生きるのです。

漢字を手で書くことによって、その漢字にまつわる記憶が刺激されてくるのです。

結果として、書きながら思考がどんどん深まっていくことになります。

第一稿を校正・推敲する場合にはワープロ等で清書されたものを使用しても問題ありませんが、大きな変更・加筆やろ論旨の変更などの場合には、改めて手で書いたほうが素行が刺激されて効率がいいようです。


ひとたび、文章として書かれたものは自分でも客観的に見ることができます。

そこで目的に応じて手を加えることになります。

どんな目的の文章であっても、分かりにくいかなと感じたときにお勧めの修正方法があります。

論理のわかりにくさまでもカバーすることもありますが、文章のわかりにくさは音読み漢字の多さからくるものがほとんどです。

音読み漢字を訓読み漢字に置き換えることをしてみるといいです。





これをやると自分自身が元の言葉をしっかり理解しているのかどうかがよくわかります。

そのまま訓読み漢字に置き換えることができる音読み熟語もたくさんあります。

訓読み漢字に置き換えて送り仮名を振った時に、それでも意味が分かりにくかったら、おそらく使っている言葉が適切ではないのです。


第一稿は漢字の熟語が多いのが普通の場合です。

これを訓読み漢字にして送り仮名を振ることによって、ひらがなの使う量が増えてきます。

単純比較でも、見た目でもわかりやすような文章になるのです。


「書く」ことのポイントは、第一稿で漢字を使いまくって手書きで書くことです。

思考のサポートとしてのメモ書きも、カタカナやアルファベットをなるべく漢字の熟語に置き換えて書くようにすると、書いているだけでも思考が整理されてくるのがよくわかると思います。

漢字は見る方も意味がつかみやすい文字ですが、「書く」ことによってこそその真価が発揮される文字です。

漢字の音読みは中国にもありますが、ひらがな読みによる訓読みは日本語でしかできない特徴です。


私たちはどうしても言語感覚として、ひらがなよりも漢字の方を上位においています。

同じ言葉がひらがなでも漢字でも書けたら、よほどのことがない限り漢字で書く方を選びます。

文章のバランスは漢字とひらがなのバランスです。

文章の目的によって、求められているバランスが異なります。

この漢字とひらがなのバランスのことを語感と読んでいます。

様々な語感に触れながら、目的に応じた語感を身につけていきたいですね。