2014年1月26日日曜日

文字形態から見た日本語の特徴

日本語の特徴のひとつに、表記文字の多さよる表現の豊富さがあります。

ひらがな、カタカナ、漢字、アルファベットとありますが、世界でもきわめて珍しい文字が漢字です。

漢字のみが表意文字であり、その他の文字はすべて表音文字です。



表意文字は文字の形に意味があり、文字を見ただけでその意味するところが理解できるものです。

典型的な文字は象形文字であり、意味するもととなるものの形から文字が作られたものです。

漢字を構成する部首にも意味があり、組み合わせてさらに具体的な意味や異なる意味を表すものもあります。


今の21世紀において確認されている文字を持つ言語の中で、表意文字は漢字だけです。
20世紀まではベトナムや中国の一部で使われていた表意文字があるようです。

世界のほとんどの言語が表音文字でできていることになります。

表音文字の言語は、音声に意味がありますので、文字は音声を表す記号にしかすぎません。
文字を見てもその意味するところは分かりません。

どうしてもコミュニケーションの中心は話し言葉になってしまいます。
思考や理解は言語を音にして出すことによってより深まっていきます。


それに対して表意文字を中心にした言語を使っている場合には、書いて文字にした方が理解が深まることになります。

中国においては同じ漢字に対してあれだけたくさんの発音が存在し、音だけでは共通理解ができません。
文字として表すことによって共通理解が深まるのです。

表音文字は文字による表現よりも、話し言葉による表現の方が理解し易くなっています。
表意文字は話し言葉による表現よりも、文字による表現の方が理解しやすいのです。


日本語のメイン表記は漢字とかな文字の混用です。
一般的には意味の中心となる名詞や動詞・形容詞の語幹部分については漢字表記が多く、それ以外がかな表記となります。

つまりは、表意文字と表音文字を意識せずに使い分けしていることになります。
母語としての感覚として日本語を身に付けていない外国語話者にとっては、論理的な理解では困難な使い分けとなっています。

日本語が使いこなせればどんな言語でもそれほど苦労なく習得できるのはこんな理由もあるんですね。


さて、千年ほど前ならばもう少し多くの表意文字が存在していました。
西夏文字(チベット語系西夏語)や女真文字(古満洲語である女真語)や契丹文字(モンゴル系契丹語)には表意文字と表音文字がありました。

表意文字で名詞や動詞語幹を書き、助詞や動詞語尾を表音文字で書くというように、表意文字と表音文字を混ぜて書いた点は、日本語の漢字かな混用文にそっくりだったようです。

一部には表意文字までの発展がなく、絵文字としか言いようがないものもあったようです。


一番古い表意文字を探してみると、シュメール語に行きつくようです。
そこには世界最古の文明として地球上のすべての文明に影響を与えたとされるメソポタミア文明のシュメール人が浮かんできます。

シュメール語の楔形文字がかなり解析されています。
実は、表意文字と表音文字の組み合わせでできており、混ぜて使われていたことがわかっています。
現代日本の漢字かな混用文と同じなのです。

この時代に、表意文字・表音文字の混用があったこと自体が奇跡と言えます。


どうやら、表意文字・表音文字の両方を持っていた世界最古の言語が、各地の文明に伝わりながら表意文字と表音文字に分かれて広がっていったようです。

純粋な表意文字として現代につながっているのが漢語の中国(黄河)文明です。

同じような楔形文字を使っていますが、古代ペルシャの文字はほぼ表音文字となっています。

エジプト文明におけるヒエログリフも古代では表意文字・表音文字の混用ですが、クレオパトラのころには簡略化した表音文字へと移っています。


世界中で今現在でも表意文字・表音文字の混用ができているのが日本語だけなのです。

日本が文字としての文明を導入したのは漢語が最初であることは間違いのないことだと思われます。
それ以前に、話し言葉としての文字のない「古代やまとことば」があったことも間違いないことでしょう。

中国から導入した文字は、メソポタミア文明(シュメール語)→黄河文明と渡って表意文字化した漢語です。

同じ漢字を使っていても、中国をはじめとした日本以外の国では表音文字との混用はありません。
表意文字としての漢字の単独使用です。


日本においての文字の使用が、表音・表意の混用であることは、古代メソポタミアの文明が何らかの形で伝わってきたものか、漢語を使いながら新たに生み出したものなのかは分かっていません。

個人的には、メソポタミア(シュメール人)→イルラエル(ユダヤ人)→中国(秦氏)→倭(日本人)がとてもロマンのある流れなのではないかと思っています。

 このあたりについてはユダヤとの関係も見ておきたいですね。
(参照:漢字に見る聖書の物語

いずれにしても、どんな言語分類にも組み入れることができない日本語は、もしかすると世界中の言語をすべて包括した言語である可能性があります。

日本語を母語とする者は、いくつになっても比較的容易に他の言語を使いこなすことが可能であるが、他の言語を母語とする者にとっては日本語は生涯使いこなすこなすことができない言語であることはいたるところで言われていることです。

その理由の一つをまた見つけてしまったようですね。