戦後の教育で「あいうえお」の五十音表が作成され、「あいうえお」順が使われるようになってからはどんどん使われなくなっていってしまいました。
私が小学生のころは銭湯の下駄箱やロッカーは「いろは」順だったことを覚えています。
学校でも「いろは」は習った記憶がありません。
「いろは」の成立については諸説あるようですが、作者や成立年代を含めて不詳となっています。
七五調で整えられた歌で四行で記されることが多い「いろは」ですが、古くは七行で書かれていたと思われます。
現存する最古の「いろは」は1079年成立の『金光明最勝王経音義』(こんこうみょうさいしょうおうぎょうおんぎ)に七行で以下のように見ることができます。
やはり縦書きの方が似合いますね。
ここに暗号が隠されていることはあまりにも有名な話です。
江戸時代にはすでに知れ渡っていたと思われ、大衆芸能であった浄瑠璃や歌舞伎に採り入れられていたことが確認できます。
お上を批判することは大っぴらにはできませんが、お上のお裁きに理不尽さを感じた大衆は浄瑠璃や歌舞伎で憂さ晴らしをしたと言われています。
代表作が「菅原伝授手習鑑」と「仮名手本忠臣蔵」ですね。
政争に巻き込まれてその学才ゆえに罪もなく大宰府に流刑され、そこで命を落とし後に祟って出る菅原道真を描いた、無実の罪で殺された物語。
また、赤穂藩おとり潰しの目に会いながら、浪人となった47人の元藩士が敵討ちを成し遂げますが、お上の裁可で全員が死罪となって無念の死を遂げる物語。
双方に共通するのが無実の罪で死ななければならなかった「咎無くて死す」です。
「手習鑑」は手習の手本のことです。
「仮名手本」は仮名を書くときの手本のことです。
つまりは、
「手習鑑」=「仮名手本」=「いろは」のことです。
そして、先ほどの古典型である七行のいろはを「ひらがな」にして見てみましょう。
各行の最後の文字を繋いで読んでください。
「とかなくてしす」→「咎無くて死す」になりませんか。
「仮名手本忠臣蔵」ではいろはの四十七文字が浪士の数と同じということでさらにそのつながりが深いものとなったようです。
この隠し文字はかなり広まっていたようで、大正期にはこの「いろは」は縁起が悪いという理由も込めて、四十七文字に「ん」を加えた新たな「いろは歌」が公募されて「とりなく歌」として広がりました。
生徒の名簿も「いろは順」と同じように「とりな順」というものがあったことが確認されています。
- 鳥啼く声す 夢覚ませ
- 見よ明け渡る 東を
- 空色栄えて 沖つ辺に
- 帆船群れゐぬ 靄の中
「いろは」の四十八文字すべての文字を一回ずつ使って、意味のある歌に作り上げたものですね。
埼玉で数学の講師をしていた坂本百次郎の作が一等として取り上げられたものと言われています。
「ゐ」と「ゑ」は現代仮名では使われていませんので、これを除いた四十六文字で現代いろは歌を作ってみたいですね。
作詞作曲をする私としては、創作意欲を掻き立てられますね。
ヒントはあるんですよ。
「はる、なつ、あき、ふゆ」は一文字もかぶっていないんですね。
ここから作れないかなあ・・・