2013年12月8日日曜日

歌詞に見る「現代やまとことば」

普段の会話の内容よりも、曲の歌詞の方が印象的に伝わってくるのはなぜだろうか。
もちろん、
すべての曲がそういうわけではありません。

作詞者の意図もありますが、曲とマッチした歌詞は一般的な会話よりもはるかに伝わるものがあります。

最近では、テレビで曲を聴く場合は歌詞がテロップで映されることが多くなって、何を言っているのかを確認できることが増えました。


歌詞が映らなかったころは、好きな歌を覚えようとしたら、レコード(CD)やテープを買って、歌詞を手に入れなければ、聞こえる音だけから推察するしかありませんでした。

音楽そのものの伝わり方が変わってきたので、それにつれて曲のあり方も変わってきたのではないでしょうか。



最近の曲は音だけで聞いていると何と言っているのか分からない部分が多くあります。
CDやCMならば編集によっていくらか聞きやすくなっていますが、生で聞かされた時には余計に分からなくなります。

歌詞が画面に映ることによって、純粋に歌の話し言葉として伝える力が落ちていると思っています。
聞き取りにくい言葉をたくさん使っても、文字として画面に映ってカバーしますので分かってもらうことができます。

発声や歌が下手くそな人が歌って、音としては聞き取りにくくても文字が補ってくれます。

反対に、聞き取り難くても音として面白いものであればどんどん使われるようになりました。

音としての言葉を伝えることによって成り立っていた曲の世界を、大きく変えたのが文字として歌詞を映し出すことだったと思います。


そうは言っても心に残る曲は、文字で歌詞を確認しなくともすっと理解できるものがほとんどです。

文字で確認しているのはどうのような曲でしょうか。

ひとつは歌い手の力量の問題ですね。
聞き取りにくい歌い方をされれば映った歌詞で確認せざるを得ません。

もう一つは歌詞そのものの言葉が分かりにくい場合です。
自分の知らない言葉であったり、日本語だか外国語だかわからなかったりした場合には文字で確認せざるを得ません。

音としては理解できてもその音が持つ言葉がいくつかあるような、同音異義語がたくさんある言葉の場合には映った文字で確認しないと不安になります。


私自身は曲を聞くのにいちいち歌詞を確認して聞くことは嫌いです。
いい曲だなと感じたときに歌詞をしっかり読みたいときに歌詞を確認するくらいで、ほとんどの場合は全体の言葉の流れだけを追っていきます。

私の好きな曲に共通点があることが分かりました。

歌詞の中にほとんど漢字の音読みがないのです。
文字として書かれたときは、ひらがなだけですと読んで分かりにくいので、漢字を上手く配置することによって読み易くします。

もともと音として聞かせることを中心に考えていますので、文字での補助は考えていないものと思います。

代表的な曲は谷村新司の「昴」です。
タイトルが漢字ですし、何となく天文的なイメージがありますのでどこかで音読みの漢字が使われていても不思議ではないなと思っていました。


私の大好きな曲でもあり、よく歌っています。

すべての歌詞をとおして音読み漢字を一切使っていないのです。
これが心地よく聞こえるのです。

訓読み漢字は音としてはひらがなと同じに聞こえます。

曲頭の「目を閉じて何も見えず・・・」などは、当たり前のことを言っているだけですよね。
これが谷村新司があのメロディに乗せて歌えば稀代の名曲となってしまうのです。

まさしく「現代やまとことば」だけで作られている曲なのです。


自分の好きな曲をいくつか見てみましたが、きわめて漢字の音読みが少ないですね。
伝えやすい言葉は昔から、自然とわかっていたのでしょうね。

普段のコミュニケーションで利用しない手はありませんね。
文字による補助が少ない会話の場面では「現代やまとことば」がとても有効になるのではないでしょうか。

歌うように伝えられたら格好いいですね。