言語学上の孤児と言われる日本語ですが、発音については仲間がいます。
一音一音が必ず母音で終わる(「ん」も母音として扱います)特徴は、基本的な音声の認識も母音を中心として行われています。
このような母音を中心として認識する言語は日本語とハワイ・南太平洋のポリネシア語族にしか見ることができないようです。
世界の言語のほとんどは子音を中心に認識するものです。
ヨーロッパ語もアラビア語も中国語も、口から空気を出す時に障害を作って変化をつける子音によって音声の認識をしています。
子音は感覚的には、相手との距離を保ち威嚇する発音体系ということができるのだそうです。
子音語族(こんな言い方があるのかどうかわかりませんが)においては、会話をすることによって、相手との対立や違いを明確にしていくことができるようです。
母音は息で制動を付けなくても、声帯の振動をそのまま伝えることで発することができる自然な音です。
痛いときには「うー」と奥の方から自然に発せられます、感動した時には「おー」と自然な音が発せられます。
母音は自然に発せられる音からできています。
母音を中心とした言語である日本語やポリネシア語の話者は、母音を言語脳がある左脳で聞いています。
それ以外の言語話者は、母音を右脳で判断して音響障害(雑音)として聞いています。
そして、子音を言語脳である左脳で聞いているのです。
日本人が虫の声を聞いて言葉に置き換えることができるのは、左脳で聞いているからです。
日本語話者、ポリネシア語話者でない人たちは、虫の声を雑音として聞いているので言葉に置き換えることができません。
母音語族は自然に存在する音を言語として捕えることができるので、自然との同化や融合ができます。
会話をしていくことによって、相手の潜在意識と合わすことができるようになります。
母音語族は母音も子音も区別なく左脳で言語として受け止めています。
子音語族は子音は左脳で言語として受け止めていますが、母音は右脳で雑音として受け止めています。
一般的に左脳は「論理的な思考」を行い、右脳は「五感を通じた感覚・感性」を扱うとされています。
日本語話者(ポリネシア語話者)同士の会話では、すぐに周囲の状況が共有できるので、相手や周囲の同化に適した言語となっているのです。
日本語とポリネシア語の違いは、他の文化との接触度合だと思われます。
日本は生き残っていくために、中国の文明やヨーロッパの文明、戦後においてはアメリカの文明を積極的に取り入れながらも日本語を保持し、漢字やアルファベットで新しい文化への対応をしてきました。
その中で子音語族とのコミュニケーションの方法を、まだまだ十分とは言えませんが学んできました。
ポリネシア語は他の文明との接触をほとんど持たずに、独自の言語をそのまま維持してきました。
子音語族とのコミュニケーションにおいては、その方法を持っていないと言ってもいいでしょう。
自然の中に存在する人間としての日本人の感覚は、文化の裏付けだけでなく言語にもその要因が見られるようです。
自然との共生においては日本が世界をリードしていかなければならないようにできているみたいですね。