2013年8月31日土曜日

語感を鍛える

先回は日本語の多様な表現力を生かすための語感について触れてみました。

言語の習得過程には以下のような段階があることがわかっています。

0歳~5歳頃 ・・・ 母語の習得期間

5歳~10歳頃 ・・・ 学習言語(第一言語)の習得期間

10歳~15歳頃 ・・・ 「聞くこと、話すこと、表現すること」の習得期間

もちろん、個人差も大きな世代ですから、厳密にこの期間でなれば行けないということではありません。

更には、15歳くらいまでの間では一番基本的な母語の補正も行われているようです。

あくまで基本的な習得のための最適な期間と考えておけばよいと思われます。



特に日本語のように大きな言語は習得できたとしても、使いこなすようになるにはさらなる努力が必要です。

日本語を母語として習得している私たちは、継承した使い方を感覚として保有してきていますが、現実的には表現しにくい感覚です。

何となく気持ち悪く思う程度の感覚ということができるでしょうか。


母語を習得するときの基本的な言語は話し言葉です。ひらがなです。

基本的な動作の言葉と幼児の身の回りのものの名称が基本となりますので、ほとんどが「やまとことば」ということができます。

自動車や電車のような言葉も子供に合わせて「ぶーぶー」や「ごとんごとん」と表現します。

パトカーやジェット機も「うーうー」や「ごーごー」となりますよね。

文字のなかった時代の古代やまとことばの時代に自動車やパトカーがあったら、同じように言ったのではないでしょうか。


また、基本的な動作を表す言葉は古代やまとことばの時代からあり、ほとんど変わっていません。

あるく、すわる、たべる、ねる、みる、はなす、きく、うたう、なく、などですね。

同じように見え方や感情を表す言葉もほとんどがやまとことばです。

きれい、かわいい、あかるい、ちいさい、かなしい、うれしい、たのしい、などですね。

つまり、母語の伝承は現代版やまとことばによってなされていると言うことができるのではないでしょうか。

物心ついたときには忘れている幼児言葉が、母語を共有する者たちにとっての一番共通する語感なのではないでしょうか。

母語を日本語とする私たちは、母語を習得したころから「やまとことば」としての語感を持っていると言えると思います。



母語を基本に学習言語(第一言語)の習得期間になると、先人たちが残した知恵を身につけるための言語を学びます。

様々な教科に分かれ、教科ごとに異なる語感を持った教科書を読み解くことによって知識を身につけていきます。

その基本となるの国語の学習であり、他の教科の教科書表現は国語の進捗に合わせて作られます。


小学校の間は特殊な専門科目以外は、ほとんどが担任の先生一人で担当します。

まだ、たくさんの語感を聞き分けて理解できるチカラが備わっていないから、なるべく惑わさにようにするためですね。

このことがわかっていない教育現場が多いことにも驚かされますが・・・。

この期間に、文学的な感覚的な語感から、論理的な科学的な語感の基本を学びます。

10歳頃までで読解に必要な道具としての基本的な言語の習得ができます。

ここまでの期間での読書については、言葉としての語彙の習得や漢字の習得が中心となりますので、本を読んでも語感については影響が少ないようです。

読み易いものをたくさん読むことがいいようですね。


小学校の中学年から高学年にかけて、算数の苦手な子が現れてきます。

算数だけでなく、自然科学分野が苦手になる子が出てきますね。

これは、算数の学習が遅いのではなく、算数の教科書の語感に慣れていないのが原因です。

この段階であれば、国語の学習をきちんとやることによって、ほとんどの算数の苦手は解消されます。


この次の段階になりますと、「聞くこと、話すこと、表現すること」として言語を使いこなすことが必要になります。

いろいろな語感に触れながら読み解くことが必要になり、いろんな語感に対応しながら伝えることを学ばなければいけません。


しかし、現実にはものすごいパターンの語感が存在します。

国語科の学習指導要領には、一番最初に「A.話すこと、聞くこと」の指導が示されています。

続いて「B.書くこと」そして「C.読むこと」となっています。

にもかかわらず、義務教育を卒業時点では社会に放り出されたときに通用する「話すこと、聞くこと」は身についていません。

今では、大学を出てもこのチカラが身についていない人がたくさんいることも現実です。


社会での生活がより細分化されて、さまざまな語感が存在することも事実ですが、それに対応するための学習がきわめて少ないことが大きな要因と言えます。

つまり、語感を鍛えることは自分でやらなければいけないということになります。


語感を鍛える一番の方法は読書です。

それも乱読です。

極端に云えば、幼児用の絵本から六法全書、古事記・日本書紀までを原文で読むことです。

誰に向けて、どういう趣旨で書かれた文書であるかを意識して読むことが大切です。

知識としての基本的なインプットは学生時代で充分であり、よほど専門に特化したものでない限りインプットの必要はありません。

語感を感じるためにする読書です。

中身の理解よりも、語感を感じることが目的です。

語感をパクるためのネタとして感じておけば充分なのです。

自分の語感は一種の個性ですからを変える必要はりませんが、相手に合わせた語感を使えることは必要です。


なんのために語感を鍛えるのでしょうか。

よりよいコミュニケーションのためです。

相手に自分の考えや意見を理解してもらうためです。


次に語感を鍛えるためにいい方法は、書いて、発信して大勢の目に触れて意見をもらうことです。

ブログはとてもいい訓練になると思います。

誰に対して、どういう趣旨を伝えたいから、この語感でいってみよう、までを考えて書けたら素晴らしいですね。


聞くことも大切です、伝える相手がどのような語感を持っているのかを感じなければいけません。

そのために一番いいのは、聞いて伝える側との共通性を見つけることです。

性別、年代、学歴、経歴、生活環境、家族環境、などが自分と近ければ、自分の持っている語感が受け入れられる可能性が高くなります。

共通性が見つかれば、今度は相手の専門性・特殊性です。

その世界での独特の語感が存在する可能性があります。

相手にとってはその語感が受け入れやすい可能性があります。

専門性が高ければ高いほど、その可能性が高くなります。


人が生活している世界がどんどん狭くなってきています。

社会でのつながりや、世代を超えたつながりがどんどん薄くなってきています。

社会活動・企業活動がどんどん細分化され、専門化され、特殊化されているために、所属している企業が異なると語感がかなり異なってきています。


語感は固有のものですから、完全に合わせることは不可能です。

複数の人を相手に何かを伝える場合は、特に語感に注意を払うことが必要になります。

伝える相手の語感がおぼろげにでもわかれば、しめたものです。

自分が苦手な分野であれば、相手の表現からパクればいいのです。

伝えることが上手い人は、パクるのが上手い人のようですね。