2013年8月30日金曜日

日本語の持つ多面性

日本語の特徴についてはこのブログでも何度か述べてきていますし、世界中でいろいろな方が述べられています。

どれをとっても他の言語と比較した時の日本語の特徴であることは間違いないと思われますが、同じ日本語に対して正反対のことを述べているものもあります。

省略される言葉が多く、しかもその省略の仕方に規則性を見つけることが難しいために、とても曖昧な言語だとする考えがあります。

一方では、専門学術分野の翻訳においては原文よりもさらに精確な表現ができる、きわめて論理的な言語だとする考えがあります。

どちらが本当の特徴なのでしょうか?

答えは、どちらも日本語の特徴だということです。
広い大きな日本語の中で対象としている部分が違うだけのことです。



また、言語には話し言葉(口語)と書き言葉(文字:文語)があります。

ほとんどの他の言語のように話し言葉にたいして一対一で書き言葉が対応する言語であれば、その特徴は分り易いものであると思われます。

日本語は一つの話し言葉に対して最大では四つの文字種(ひらがな、カタカナ、漢字、アルファベット)で表すことができます。

このことが日本語の形の上での特徴であるとともに、機能としての特徴に多面性を待たせていることになります。

耳から入ってきた音は全く同じでも、目から入ってくる文字が異なれば、その言葉自体の印象も異なります。

それぞれの表記文字には意味は別にしても、文字自体に次のような印象があります。

  ひらがな・・・やさしさ/たよりなさ

  カタカナ・・・固定的/外来語

  漢字 ・・・精確な・意味のある/かしこまった

  アルファベット・・・新しいもの/専門的な

現代日本人には完全なる漢語でのひらがな抜き文章は専門家以外には書けませんが、四つのすべての表記文字はそれぞれ単独で完全に話し言葉を表現することができます。

この話し言葉の表記文字はこの漢字しか使ってはいけないというものはないのです。

使う人の感性に委ねられているのです。



そして、表記文字を使うときにどの文字を使うのか、文章全体を考えたときにこの場面ではどの表記方法をとるのかの感性のことを語感と読んでいます。

語感は一人ずつ異なります。

基本的な語感である気持ちいい気持ち悪いについては、母語習得時点の幼児期に既に身についていると言われています。

作成する文章の趣旨や形式において、どんな語感がいいのかは後天的に身につけるものです。

それもほとんどが経験則に基づいて、同様の文章に触れたときに自分が一番いいなあと感じたものがテンプレートになるようです。


学術論文と散文では明らかに語感が異なります。
契約書と私的な手紙でも明らかに語感が異なります。

同じ手紙でも、友人に宛てたものと親に宛てたものでは語感が異なります。
精確さを求めた記録的な文書と感動的な演劇のための脚本では語感が異なります。

この語感こそが、ひらがな、カタカナ、漢字、アルファベットの使い分けなのです。


今まで見てきたように日本語はとてつもなく大きな言語です。

話し言葉を完全表記できる文字種だけでもアルファベットを別にしても三種あるわけですから、単純に考えれば一表記文字しか持たない他の言語の3倍の大きさがあります。

更にその言語間の組合せが無限にあることを考えると、この言語を使いこなしている日本人の頭はどうなっているのかと思わざるを得ません。

この言語を使いこなすためには語感を鍛えなければなりません。


あらゆる表現に対応する語感を個人で持つことは不可能です。

それぞれの環境に応じた得意分野ができるはずです。

閉鎖的でかつ専門性の高い分野で日々の活動をしている人は、日々接している文書の語感になじんできます。

会話のメンバーまでが限定的になってきますと、今度は語感だけでなく話し言葉もその影響を受けてきます。

役人言葉や職人言葉・芸能界のように専門用語化して、やがては隠語化し排他性が生まれてくることになります。


こうなると悲劇ですね、生涯その中で終わればいいですが、その環境を出ることになった時には今までの語感が通じない可能性が出てきます。

普段から日本語の持つ多面性を感じるためにも、さまざまな世代やいろいろな環境にいる人との交流は大切ですね。

専門性の高い語感が必要になった時は、そのような交流の中で知り合えた専門家にお願いするか、TTP(徹底的にパクる)でいきましょう。

日本語の大きさを考えると、この語感は一人ひとり全部違う可能性が高いと思います。

なおさら、多面的な交流が必要になりますね。