2013年8月29日木曜日

曖昧でない日本語

日本語の一般的な特徴として曖昧さを挙げることがしばしばあります。

日本人同士の通常の会話(口語)においては、いろいろな言葉が省略されるため周りで聞いているとかなり曖昧さを感じることが有ります。

ところが、日本語に訳された技術的専門書では、著者が原語で表現したことよりも日本語による訳の方がより正確なものがたくさんあります。

このことに感動した学者の中には、日本語は世界一の正確さを持った言語だという人もいるくらいです。

この評価はひとえに翻訳者の能力に依っています。

では、この翻訳者が微妙な感情の機微を表現する脚本を書けるかと言えば、そうはいきませんよね。


日本語の使用で正確さを求められるのはどんな場面でしょうか?

話し言葉の場面ではないですね、記録として残す文書を書く場面ではないでしょうか。

さらにその文書の公的性が高まるほど、またその文書の有効期間が長くなるほど、より正確な日本語表現が求められるのではないでしょうか。

間違えた解釈がされないように、作成したものの意図が正確に伝わるように日本語が表現されなければなりません。

その意味では一番正確な表現であるべきものは日本国憲法かもしれませんね。

憲法の条文の解釈を巡って、バカな政治家が無駄に時間を使って税金を削っているくらいなら、より正確な条文への改憲はあっていいのかもしれません。


日常的に正確な文書に触れたり書いたりする必要のある人はかなりいると思います。

職業的に精確(正確ではありません、精密かつ正確です)な文書が必須なものも多いですね。

一番の典型が、役人です。

役人もいろいろありますが、一般の人に比べたらはるかに多くの精確な文書を扱う必要があります。

申請書から許認可、通達や報告書、稟議から法律案その他の定型文書もたくさんあります。

私の父も役人でしたが、考えたり話し合いをしたするよりも、文書を読んでハンコを押す時間が一番多いと言っていたのを思い出します。

そうすると、役所の中での共通語がそういった言葉になっていくんですね。

本省の中で籠りきりで一般の人と触れる機会の少ないエリート役人は、一般の人と異なった漢字だらけの言葉が増えるのはそのためです。

いわゆる役人言葉ですね。


国会は立法府です。

法律を作るところです。

法律の条文にいろいろな解釈ができてしまったり、曖昧な表現が入ってしまったら困りますから、精確な表現のために漢字(熟語)がたくさん使われることになります。

また、法律として精確さを表現するために作られた専門の言葉もあります。

一般には使用しない表現であっても、法律の趣旨を表すのには最適な言語もあります。


また、基本的な法律は一度成立すると改正されるまで、何十年という期間通用させることになりますから、時代や意味の変化に影響されない言葉を選ぶ必要があるわけです。

昔から意味の変わらない言葉は、それだけで変化に対応してきた実績があるわけですから、どうしてもそういった言葉に頼ることになります。

そこにはきわめて精確な日本語が存在しています。

「やまとことば」とは正反対の日本語です。

どちらも日本語です。


こういった人たちが教育内容を決めているわけですから、「やまとことば」なんか頭にありません。

自分たちに必要ないからです。

役人言葉の狭い世界ですから、一般世界とのコミュニケーションは難しくなっています。

しかも、自分たちの使っている日本語が最上位の日本語だと思い込んでいる世界ですから始末に負えません。

ただし、一つの成果は一番精確な日本語を伝え残していることでしょうか。



精確さが必要な場面では、それに対応できる日本語を持っているのです。

一般的に私たちは精確さの表現方法を知らないだけなのです。

一般企業であれば、契約書や覚書、報告書や計画書にある程度の正確さが求められるところでしょう。

その時に必要な表現はひな形をTTPで対応すれば十分だと思います。

現実の生活の中で法律レベルの精確さを求められることは、まずは無いと思います。

たまには、六法でも目を通して、その表現を見てみるのも面白いと思いますよ。