2013年8月3日土曜日

日本語の誕生(2)

先回は新羅の公用語が中国語(唐)だったために、新羅と対抗して国の独立を守るためにはどうしても中国語以外の国語が必要だったところまで考えてみました。

それも急がなければいけません。

漢語で綴られた中国語の文語(文字)をもとにして、その一語一語に意味が対応する倭語を探し出して置き換えるという気の遠くなるような作業が行われました。

対応する倭語がない場合は倭語のようにきこえる言葉を考案して、それにむりやり漢語と同じ意味を持たせることをしました。

倭語はほとんどが口語ですから、文語としての漢語の方が数が多いため対応しないものがたくさん出てきます。

このようにしてできたのが日本語の原型だと思われます。

これをもって日本語の誕生と言えるのではないかと思います。


日本語の誕生直後の姿は「万葉集」の中に見ることができます。

「万葉集」二十巻のうちの大部分は、八世紀の奈良時代の歌人である大伴家持が編纂したものと考えられています。

この中を時代の古いと思われる順に見ていくと、日本語の成長過程を見ることができます。


一番古いと思われるのは巻七に「柿本朝臣人麻呂の歌集に出づ」とことわって掲載されている歌です。

倭語の書き表しから見ても最も古いものだと思われます。

「天海丹 雲之波立 月船 星之林丹 榜隠所見」という歌があります。

この漢字を読みますと、

「あめのうみに くものなみたち つきのふね ほしのはやしに こぎかくるみゆ」となります。

最初の「あめの」は「天」一字だけですべてを表しており、助詞の「の」までが含まれています。

次の「うみに」は「海」で表していますが、助詞の「に」は「丹」と書き表しています。

「丹」は赤い土のことを倭語で「に」と言ったことを利用した書き方と思われます。

「くもの」は「雲之」と倭語の助詞の「の」まで漢字の「之」で表しています。

「なみたち」の「たち」は動詞の語尾変化を書かずに「立」とだけしてあります。

すべてを見るまでもなく、のちに見る漢字仮名に比べるとまだまだ倭語の意味を持たせた漢字を倭語の順番に並べただけとも言えます。

仮名と言えるものは「丹」と「之」くらいですよね。

どちらかと言えば漢文の一種とも言えなくもないものだと思います。


次の成長段階は「万葉集」の巻一にある、天武天皇の歌に見ることができると思われます。

「紫草能 尓保兵敝類妹乎 尓苦久有者 人嬬故尓 吾恋目八方」という歌があります。

これを読みますと以下のようになります。

「むらさきの にほへるいもを にくくあらば ひとづまゆゑに われこひめやも」

この歌にはどの句にも意味を表す(意訳)漢字が入っています。

「紫草(むらさき)」「妹(いも)」「有者(あらば)」「人嬬(ひとづま)」「故(ゆゑ)」「吾(われ)」「恋(こひ)」がそれになります。

それ以外は倭語の音を漢字の音に当てた「仮名」となります。

その部分をひらがなにして書き直してみますと、

「紫草の にほへる妹を にくく有者 人嬬故に 吾恋めやも」となります。

この最後の一句は、「め」を「目」、「やも」を「八方」と、発音は同じですが意味が違う倭語を漢字で表しています、つまり当て字を使っていることになります。


天武天皇は柿本人麻呂と時代的にはほぼ一緒です。

このことは、編者である大伴家持がもともとは人麻呂と同様の漢文もどきであった歌を、表記し直して読み易くしたのではないかと推察されます。


第三の段階は、「万葉集」の巻五にある山上憶良の歌に見ることができます。

有名な長歌「貧窮問答歌」の反歌として

「世間乎 宇之等夜佐之等 於母倍杼母 飛立可祢都 鳥尓之安良祢婆」というものがあります。

これを読みますと、

「よのなかを うしとやさしと おもへども とびたちかねつ とりにしあらねば」となります。

「よのなか」を「世間」、「とり」を「鳥」、動詞の「とびたち」を「飛立」としている3か所だけが意訳としての漢字の使い方です。

それ以外の倭語は名詞も動詞も形容詞もすべてが、一音節に漢字一字を当てて音としての仮名として前提が成り立っています。

そして、「万葉集」の巻十四にある「東歌(あずまうた)」は大伴家持が集めて記録したものといわれています。

「可豆思加乃 麻万能宇良未乎 許具布祢能 布奈妣等佐和久 奈美多都良思母」、この歌は

「かづしかの ままのうらみを こぐふねの ふなびとさわく なみたつらしも」と読みます。

もはや品詞も関係ありません、すべての倭語の一音ずつに漢字一字を当てて音訳してあります。


この完全音訳によって、倭語は漢字を使いながらも漢語からの独立を成し遂げたのです。

中国語からの絶縁を成し遂げ、独立した国語としての基盤がここに出来上がったのです。


今回、岡田英弘氏の「日本史の誕生」(弓立社)に出会ったことによって、たった一つの歴史的資料である「万葉集」から、日本語の誕生を成長段階を追ってみることができました。

もちろん、昔の資料であり絶対的な事実であることに疑問が残ることは、いつになっても変わらないことだと思います。

こんな面白いタイムトラベルに案内いただいたことに感謝したいと思います。


 
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