英語との付き合い方に触れるためにはどうしても「母語」についてお話しておかなければなりません。
今までも何回か「母語」については触れてきていますが、今回は具体的に第二言語としての英語学習における「母語」の役割について触れておきたいと思います。
(参照ブログ:母語について、母語で考える、母語は精神そのもの、あらためて母語について考える、母語のいる場所、母語と国際語について )
人の思考は母語よってなされています。
母語以外での思考はできないのです。
英語を母語として持つ者と同様の思考をしたければ、母語を英語にする以外にはないのです。
母親の母語が英語であればそれもむずかしいことではないかもしれません。
しかし、
母親の母語が英語でない場合で、子供の母語を英語にする場合は相当な努力を必要とします。
一番間違いない方法は母語が確立する10歳前後まで、英語を母語とする者以外は子供に接しないことです。
そんなことは現実的には不可能ですよね。
母親の持つ母語と違う母語を子供に持たそうとすると、どうしても中途半端な母語にならざるを得ません。
母語は一つしかもてません。
環境的に複数の母語を持つ可能性がある場合は、早い段階で意識して一つにしないと中途半端な母語が身につくことになります。
ごく稀に、母語を2つ持つのではないかと思われる人がいますが、言葉によって使用される母語が異なりますで思考の統一性が失われます。
日本人が論理性に弱いのは日本語という母語の中に、本来ならばそれぞれ独立した言語として存在してもおかしくない、ひらがな、カタカナ、漢字、アルファベットが存在するからかもしれません。
しかし、論理性はテクニックですので後天的にいくらでも養うことができます。
日本人が論理性に弱いのは学校教育のせいかもしれませんね。
こんなことを研究した学者はいないと思います。
「理科系の作文術」というロングセラーになった本を書かれた木下是雄先生は、学生たちを指導するときに英語の論文を書くことにあまりの時間を取られることがこの本を書くきっかけだったと言われています。
約10年も英語を習ってきて、なぜ英語の論文が満足にかけないのか。
結論は、
「彼らは英語ができないんじゃない、日本語ができないいんだ。これに気付いた時にすべてが解決した。」と言われています。
名著が生まれる背景にはこんなことがあったんですね。
この本が発行されたのは1981年です。
30年以上前に今と変わらない状況だったんですね。
第一言語である日本語は基本的な母語が形成されたうえに、国語学習によって習得していきます。
これは他の教科と一緒ですね。
国語は基本的には小学校の中学年くらいまでは母語で習得していきます。
そしてそれ以外の教科は国語によって習得していきます。
国語の習得経過に合わせて、他の教科の教科書に使われる言葉が変わっていくのです。
国語の学習が遅れると、他の教科の学習についていけなくなるのはこのためです。
母語が日本語の場合は思考が日本語でなされますから、英語を使う場合には頭の中で日本語から英語への翻訳が行われます。
英語が使いこなせるということは、この翻訳が効率よく行われることに他ならないのです。
先回も述べましたが、日本語は英語よりもずっと大きな言語です。
置き換える言葉は日本語よりも英語のほうがずっと少ないのです。
置き換えるべき言葉さえわかってしまえば、この翻訳はさほど難しいことではありません。
反対に、英語が母語の者が日本語を使う場合は、一つの言葉に対して置き換える言葉がたくさん存在します。
しかも母語が英語ですからたくさんある言葉からどれを使えばいいのかという思考は英語ではできません。
おきかえる言葉の数だけ使い方をマル覚えするしかないのです。
母語が日本語である以上、その日本語を使いこなせる以上、英語を使うことは難しいことではないのです。
母語形成期にしっかり母語を習得することの方が、幼児期や小学校低学年で英語を学ぶことよりもはるかに英語習得のためになるのです。
いつでも英語は使えるようになるのです。
英語を学ぶことよりもよりも、しっかり母語を身につけて日本語を使えるようにすることの方が遥かに大切なのです。