すでに音声入力→音声出力による瞬間自動翻訳のアプリが登場してきています。
google翻訳は音声入力に17言語対応し、翻訳されたテキストの音声出力に24言語対応しています。
認識ミスや翻訳ミスは散見されますが、テキスト表示があるために確認することが可能です。
もう少し時間がたてばミスも激減してくるでしょうし、翻訳スピードもずっと速くなるでしょう。
こうなってきたときに英語を学ぶ必要はあるのでしょうか。
現在の学校教育で約10年間英語を学んできても、ほとんどの人はネイティブの英語話者と会話することができません。
TOEICで800点以上を取っている人でも、会話のできない人はいます。
私たちは何のために英語を学んでいるんでしょうか。
会話すらできない語学学習に意味があるのでしょうか。
答えは簡単です。
高校、大学の入学試験の科目に英語があるからです。
就職試験や推薦入学においても、英検やTOEICが重視されています。
中には他の科目よりも英語の配点が大きくなっていることもあり、受験英語で点数を取るための学習は避けて通ることができません。
この学習は、決して会話ができるようになるためや英語で文学書が読めるようになるためのもではありません。
いわゆる篩(ふるい)にかけるための手段の一つにすぎません。
学校教育で英語を学び始めるのは、学習指導要領によれば小学校5年生からです。
そうなると今度は中学校の入学試験科目に英語が入ってくる可能性があります。
すでに取り組んでいる中学校もあると聞いています。
会話をするのも、論文を書くのも、原書を読むのもすべて翻訳ソフトで対応できてしまうようになります。
下手に自分でやるよりはよほど程度の高い翻訳が、目的に合わせてできてしまうのです。
文字でも、言語でもです。
論文であればその体裁もレイアウトもテンプレートによって自動的に作成されます。
さて、英語を学習して何をやりますか、どう使いますか?
きちんと翻訳してもらえる日本語を身につけたほうがよくありませんか?
日本語は他の言語に翻訳するにはとても難しい言語です。
主語が省略されことが頻繁にあります。
述語が省略されることもあります。
同じことや似たようなことを表現する言葉がたくさんあります。
日本語の特徴をよくわかったうえで、翻訳されやすい誤訳されにくい日本語を使うことを学んだほうが、英語を学ぶよりもはるかに役に立ちそうでが・・・
伝達の道具としての英語は学んでもしょうがないという時代がそこまで来ているんでしょうね。
言語学や民族学としての研究の場合はその基礎としての英語を学ぶ必要があるかもしれませんが、第二言語として伝達の道具としての言葉は学んでも使いようがないことになります。
英語一辺倒になっている現代の状況に疑問を感じてもいい頃です。
決して極論ではないと思っているのですが・・・