2013年7月19日金曜日

「真、善、美」という判断基準

私は迷った時の判断として「真、善、美」という基準を置いています。

これといった具体的な判断基準があるわけではありません。

自分の感性としてその基準に対して引っかかるところはないかという程度ものです。

判断するのは私自身ですので、周りが何を言おうと関係ありません。

たとえ、周りのすべてがNO.と言っても、自分の判断基準でOKならば必ずやってみます。

もちろんその時には周りのサポートは一切ありません。

自分だけですべてやってみるしかありません。

でも、不思議とできるんですね、こういう時は。

すると、やってみた経験知は私だけのもになってしまうんですね。

もちろん報告はしますが、前提条件・過程・結果まで説明できるわけなんかありません。

結局やったことでしかわからない、伝えられないことってたくさんあるんですね。

小頭のいい人ほど、人の報告を聞いていかにも自分がやって経験したかのように伝えるのは上手

ですね。

天才的とも言えると思います。

でも、やった人から見ると経験しないで言っていることはすぐ分ってしまうんですね。


さて、「真、善、美」ですが、三位一体ではないかと思っています。

「真」はまことです。

ウソ偽りやごまかしのないことです。

「善」は正しいことです。

地球という自然の中で生かされていることにおいて、悪い影響を与えないで少しでも良化のために

役に立つということです。

「美」は醜くないことです。

目立つことのない、自然な周囲との調和としての美しさです。

シンプルさにもつながると思います。

三位一体であるというのはそれぞれが成立するための条件として、他の二つが満たされないとい

けないと考えているからです。

あくまで、具体的な基準がない感覚的なことです。

「真」であるためには「善」であり「美」でなければなりません。

「善」であるためには「真」であり「美」でなければなりません。

「美」であるためには「真」であり「善」でなければいけません。


たとえば、新しい組織図を書いたときに「どうも美しくないな。」と感じた場合は、大概「真」でないま

たは「善」でないものがどこかにあります。

場面としては目で見える感覚が情報量としては一番多いですから、きっかけとしては「美」で感じる

ことが一番多いですね。


実は、このことについては今まで表に出したことはありませんでした。

打ち合わせなどで私が時々「美しくないなあ。」と言うものですから、慣れてない人は途端に資料を

整理し始めたり清書しようとしたりします。

「美しいものが好きなんだから。」とも言われますが、あくまでも感覚ですから美しいという感覚はな

いのです。

ただ、「美しくないな」と感じるだけなのです。

ある種の違和感かもしれませんね。


この言葉を教えてくれたのは美術の先生でした。

美術というのは「美」を表現するための技術を磨くことで、そのためには「真」であり「善」でるものを

表現しなければいけない。

「真」であり「善」であるものを見極める目を持とうとしてください。

それは必ず作品の上に現れてきます。

というようなことを言われていました。

実際には会社に入ってから何かの時に「真、善、美」という言葉が出てきて、語呂がいいので口に

してたら先生を思い出したというところです。


危ういところを何度この言葉のおかげで救われたかわかりません。

そして、よく考えてみたら自分自身の行動が一番「真、善、美」から遠いことに気づきました。

少しずつでも追い求めたいと思います。

            
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