2013年7月18日木曜日

母語と国際語について

言語は国の戦略によっては極めて政治的なものになると言えます。

人は言語によって思考し、言語によって表現します。

したがって、思考や表現をコントロールするために国は言語を統制しようとします。

植民地政策における言語統制はそれの最たるものです。


文化的なレベルが植民地よりも宗主国の方が高い場合(通常は武力に優れた宗主国のほうが植

民地よりも文化的レベルが上です。)、宗主国の文化が導入されることによって植民地の言語が侵

略されていきます。

よりレベルの高い文化のほうが便利なわけですから、便利なほうを取り入れていくことになります。

武力による侵略の後に待っているものは、文化による侵略です。

植民地における支配層・指導層が宗主国の言語に侵略されていきます。


更に宗主国の文化と習慣を持ってきますので、その便利さ・文化を享受しようとするために植民地

の言語はどんどん圧迫されていきます。

特に言語統制をしなくとも流れは自然にそうなっていきますが、さらに言語統制が加わると植民地

でもともと使われていた言葉はあっという間に辺境に追いやられることになります。


このことが現代においてもすでに実行されているという指摘があります。

現代においては武力による侵略はきわめて少ないですが、英語話者たちは英語圏の経済的優位

を固定化しようとしているといいます。

そのために英語学習において強い戦略的な方向性を打ち出しているそうです。


それは、英語教育を「読み書き」から「会話」中心にシフトさせるという流れです。

これは、どこでも宗主国が植民地に対して行ってきたことです。

植民地の住民に「読み書き」を教えた場合に、優秀な子どもであれば短期的にその言語を習得し

文学や哲学・宗教書まで読んで理解できるようになります。

「読み書き」を中心に言語学習をした場合は、植民地の住民が宗主国の国民を知的に圧倒する事

態が出現しうると考えられています。


植民地における宗主国の現地官僚が名前しか知らない古典を、現地人がそらんじて内容を理解し

ている状態は彼らにとっては「悪夢」です。

歴史上、この実例として漢語を導入した日本と英語を丸ごと導入させられたアメリカが挙げられて

います。

宗主国と植民地の関係ではありませんが、漢語の「読み書き」を習得した日本は知的レベルで中

国に対して文化を輸出する国になってしまいました。

英語を丸ごと「読み書き」まで導入したアメリカはヨーロッパを技術的・経済的に追い越し世界一の

文明国になってしまいました。

アメリカは植民地が宗主国を圧倒することを自ら経験した国なのです。


母語は思考そのもでありアイデアそのものです。

母語が国際語である人々はそれだけで国際競争力におけるとてつもないアドバンテージを持って

いることになります。

英語が現在の国際共通語としての地位にあるのは、20世紀においてアメリカとイギリスという英語

国が覇権国家だったからです。


今でも国際水路についての公用語はフランス語です。

国際郵便についての公用語もフランス語です。

しかし、その価値は下がる一方であり、私企業への移行のが始まっています。

国際航空管制の公用語は英語です。

そしてインターネットの世界において英語が共通語になったことによって、かつては国際共通語とし

て競合していたフランス語、ドイツ語は完全にその地位を失いました。

第2次対戦後の国際連合において公用語とされた英語以外の、フランス語、ロシア語、中国語、ス

ペイン語(のちにアラビア語も追加)はもはや国際共通語への可能性はありません。


英語圏の国は非英語圏の国に対して「会話」学習に専念するように、あらゆる方面から仕向けてい

るといわれています。

それに引きずられて英語学習をどんどん「会話」中心に切り替えている国は、我が国を含めてそこ

らじゅうにあります。

母語で最高学府の講座・研究を実施できることはその国にとって大きな文化的資産です。

ほとんどの国における最高学府のトップレベルの講座・研究は英語で行われています。

それも「会話」が中心です。

教えるための人材は英語圏は喜んで提供します。


宗主国の言語の学習を「会話」に限定する限り、植民地の国民が知的に宗主国の国民を脅かすと

いう事態は絶対に起こりません。

あらゆる場面においてネイティブスピーカーはノン・ネイティブスピーカーに対して「そんな言い方は

しない。」という内容を丸ごと全否定する権利を留保することになるからです。

「会話」中心の英語を教える限り、英語圏のネイティブにとっては圧倒的に有利な言語的な立場を

維持することができるのです。


日本語に対しての研究はかなりのレベルで行われているそうです。

そこでの結論では、日本語を母語として持つ者はネイティブと同等に英語を使いこなすことが可能

になるそうです。

反対に、英語を母語として持つ者はネイティブと同等に日本語を使いこなすことは永久にないとさ

れているそうです。

母語としての大きさがまるで違うということらしいです。

何とかもう少し詳細な情報を入手したいですね。