「香り」と「匂い」という臭覚に関する言葉があります。
ふと、これの使い分けが気になりました。
こういう比較をするときの常とう手段は、同じ使われ方をするときとそれぞれ独特の使われ方をするときを見てみることです。
どちらとも臭いについての言葉ですが、最近「香り」についてはほとんど使っていないことに気づきました。
感覚的には「香り」の方がそこはかとない上品さが感じられる気がします。
そんなそこはかとない上品な場面にとんと出会っていないということなのでしょうか。
確かにそうですが。
では、言葉の面から見てみましょう。
「香り」も「匂い」もともにやまとことばです。
古くから使われている言葉です。
「かおり(かをり)」の「か」は、幽玄や奥深さを表現し、目には見えないが何となく漂ってくる気のようなものを表します。
「をり」は、酒を醸造するときに次第に仕上がって芳醇になっていくことを表します。
したがって「かおり(かをり)」は感覚通り、なんとなく漂ってくる品の良い上質な空気感を表すことになります。
一方「におい(にほひ)」の「に」は丹(あか)・煮のことで時間をかけてじっくりと現れるものを意味します。
色もきつい感じですね。
「ほ」は秀でること、目を引くようになることを表します。
「ひ」は日・火で勢いのあるものつまりエネルギーを表します。
したがって「におい(にほひ)」は、そのものが持っている根源的な力強さがじわーと滲み出てくる重厚感を感じます。
「かおり」のあるかないかの儚さに対して、「におい」はどっしりとした力強さを感じさせることになります。
そういえば「花の香り」と言うことがなくなっていました。
「花の匂い」と言っている自分に気づいて、感覚がガサツになっているなあと思いました。
花もたくさん集まってくれば「むせ返るような匂い」という表現もあるでしょう。
「かおり」も「におい」も共通する面白い使い方が有ります。
それは日本語独特の感覚の一つだと思います。
それはその「におい」や「かおり」が現実に存在しなくても、その場の雰囲気を表すために臭うという表現を使うことです。
春の香り、秋の香りは具体的な香りの対象があるわけではありません。
雨の匂い、夏の匂いも同じですね。
夏や冬の厳しい天候や激しい変化には「匂い」が似合いそうですね。
春や秋の穏やかな変化には「香り」のほうが似合いそうです。
「どうも嘘くさい匂いがする。」などは嘘にまで匂いを付けしまいました。
嘘に香りは合わないですね。
どうも世の中全体が「香り」から「匂い」に移行してきてしまったような気がしますね。
そこはかとなく漂う花の香りに季節の移り変わりと心情を映してきた日本語独特の表現が、だんだん現実離れしてきているのでしょうか。
たまには古典に触れてそんなことを思い出し、公園や植物園に行ってみるのもいいですね。