いろいろなデータを検討して商品別に理想在庫を設定したりしています。
しかし、現実の理想在庫を求めようとすると出荷・販売動向や生産動向によって常に変動しているデータから予測を立てることになります。
不確実なデータに基づいて理想在庫を予測することになります。
当然のごとく大きな幅を持って考えなければならなくなります。
流通におけるポジションでも考え方が異なります。
メーカーから小売りに向かって小売りに近づくほど販売機会ロスを恐れるために在庫を持ちたがります。
メーカーはできた製品をすぐにでも出荷したいので、できるだけ在庫を持ちたくありません。
どの立場で在庫を考えるかで理想在庫の考え方が大きく変わります。
現実の不確実なデータに頼らずに理想在庫を設定する方法があります。
そこに在庫があるから移動する行為が発生します。
そこに在庫があるから管理する行為が発生します。
そこに在庫があるから保管する行為が発生します。
理想在庫はゼロです。
この考えに基づいて「在庫」=「罪子」(zaiko)と言うことがあります。
つまり、在庫があることがすべての余分なコストの元であるとする考え方です。
唯一許される在庫は搬送途中の車中在庫のみとする見解です。
極論ではありますが在庫を持つことを前提に物流を構築するよりも、斬新な切り口になることが多々あります。
販売側と購入側がまずはともにゼロ在庫による運用を提案します。
相手のゼロ在庫の効果を考えたうえで、両者で一番効率の良い在庫の持ち方を検討します。
これができると売った買ったではなく、パートナーとしての役割分担が成立します。
売り手側がゼロ在庫を主張すれば、結果として買い手側が在庫を負担することになります。
買い手側がゼロ在庫ならば、売り手側が負担です。
そのコストは当然のことに最終消費者がトータルとして負担することになります。
両者で在庫を調整するといっても売り手側は売った後の物の動きについては分かりません。
勝った側は買う前の物の動きについては分かりません。
そこで需要予測ということが出てきます。
小売り側からか言えば販売予測ですね。
最近とみに需要予測(forecasting)がSCM(Supply Chain Management)のKEYと言われますが、
基本的な視点が違っていると思っています。
Supply(供給・売り手)側が流通の量を計画してコントロールすることはありません。
流通の量をコントロールするのは需要側からの発注量です。
Supply側ができることは大きな意味での需要の創造・市場開拓です。
コマーシャルとかライフスタイルの提案とか啓蒙活動ですね。
買い手側(小売り側)の持っている販売予測を共有できない限り、Supply側からの都合のいい販売はできないのです。
Supply側の理想は圧倒的な力を持つ商品の配給的送り込みです。
現在では、そんな独占的な商品はほとんど存在しません。
仮にあったとしても、すぐに同等品が供給され始めます。
またはきわめてニッチな商品で大きな流通には乗りません。
したがって、もうSupply側が主導権を握ることはほとんどないのです。
唯一の可能性は、大ヒット商品が誕生し生産数量が間に合わない場合の割り当てくらいでしょう。
流通量のきっかけはどんな場合でも需要(Demand)です。
最近では部門名にまでSCMを使用している企業が見受けられますが、需要側(Demand)を軽視していますよと宣伝しているようなものだと思っています。
SCMについては言いたいことがいっぱいあるのでまたにしますね。
今日は罪子のzaikoについてでした。
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