より早く、より詳しく。
文明の要請はあらゆる分野でこのことを実現し続けていくことではないかと考えています。
人の日常生活においても基本的な欲求の方向として潜在的に存在しているものではないでしょうか。
移動手段としてもより早いものを追い求めています。
いいかたを変えればより高い生産性を常に求め続けているということができるのではないでしょうか。
生産性とは単位時間において処理できる仕事量のことになります。
生産性を上げるためには、同じ仕事量をより早く処理ことが求められます。
いくら早くても結果としての質が落ちてしまっては生産性の評価対象とはなりません。
より高い精度を維持しておくことが時間短縮につながり生産性の高さへつながります。
したがって、過去の文明に触れることは、現在よりもゆっくりとしたものや粗いものに触れることになります。
そこでは、現在の自分のおかれた速さと詳しさをあらためて確認し感じることにつながります。
文明を生み出し伝えていく唯一のツールが言葉であり言語です。
それは人が思考するための唯一のツールでもあります。
文明によって持っている特徴が言語の特徴に現れます。
より高度の文明が追い求めた分野においてはその分野において詳しさが求められたことによる跡が言語の中に明確に残っています。
その分野の追及された対象についての言葉がたくさん残っているのです。
より詳しく探求されればされるほど多くの言葉を生み出すことになります。
そして、それが生活に密着していくことによって日常言語の中の基本語として定着していくことになります。
日本語における人の動きの速さを表す基本語は「あるく」と「はしる」になります。
「かける」については人を対象としたときには用いない言葉となっています。
同じ人の動きの速さを英語においては「walk」「jog」「run 」「sprint」の四種類の基本語を持っています。
(参照:「あるく」と「はしる」)
私たちにとっては「dash」のほうが馴染みがあるかもしれませんね。
つまりは、英語の文明においては人間が動く速さに対して日本語の文明よりもより詳しく検討されてきた証になります。
人の動く速さについて詳しく検討されたということは人の生産性について日本語の文化よりもより高度に取り組まれたことに他ならないのです。
単に検討されただけのことであれば専門分野における専門用語の域を出ることはないと思われます。
その分野の考え方や理論が社会一般に根付いてより日常化したことによってその言葉が基本語という立場を獲得することとなります。
ひとたび基本語となった言葉についてはその解釈について特別な説明を必要としません。
英語を母語とする者にとっては人の動きの速度として「walk」「jog」「run 」「sprint」の感覚の速度はほとんど同じ感覚となっています。
「walk」から「jog」への変化のタイミングや「jog」と「run」の切り替えの瞬間についても、誰に教わらなくともほとんどの人が同程度の速度として認識しているのです。
自分の母語とする言語だけを見ていてもどの分野の言葉が多いのかは分かりません。
他の言語と比較したときに初めて見つけることができるものとなっています。
つまりは文明の特徴は比較する文明(言語)があって初めて理解できることであり、一つの文明の中にどっぷりとつかっていたのでは当たり前のこととなっており特徴として理解することは不可能ではないでしょうか。
好むと好まざるとにかかわらず異文化や他言語との接触が頻繁に行なわれている現代では、自分の母語言語の文明を理解するとてもいい機会ではないかと思います。
同一のカテゴリの中でそれぞれの言語が持っている基本語を比べてみることはとても意味のあることだと思われます。
お互いの文化文明の特徴を知るうえでも極めて有効な方法であると思います。
最先端の専門分野における言葉は専門家同士の間ではとても大切なものだと思われますが、一般社会に根付いているわけではありませんので気にする必要はないと思います。
一般社会生活を送るうえでの基本語として使われている言葉こそ、長い文明の末に定着してきたものだと思われます。
日本語における基本語は比較的簡単に区別することができると思います。
明治期以降にヨーロッパ文明に触れたときに多くの言葉を日本語として取り込みましたが、それらは現在でも外来語としてはっきりと区別することができるからです。
これらの言葉は基本語とはならない言葉たちです。
日本語の基本として定着している言葉は日本古来の言葉であり、継承されて現代でも定着している言葉になります。
日本古来の言葉とは漢字が導入される以前から存在していた、話し言葉だけで使用されていた「やまとことば」を継承している言葉になります。
漢語そのものも外来語となりますので、漢字で表現された言葉でも音読みの言葉は日本古来の言葉ではない外来語ということになります。
基本語は日常生活に溶け込んでいる言葉の中でも「ひらがな」の音のみで表現される言葉になります。
文字として漢字で表記される場合には訓読み言葉として使われる言葉になります。
「あるく」「はしる」であり、「たべる」「のむ」「はなす」などの言葉になります。
人が言葉を発することを表す基本語としての日本語は、「はなす」「かたる」「つたえる」「いう」などになります。
これに対して英語における同じカテゴリに属する基本語は、「speak」「tell」「talk」「say」などとなります。
この分野において基本語として日常的に使用されている言葉の数はほとんど同じ数であり、人が言葉を発するというきわめて基本的な活動におけるとらえ方についてはそれぞれの文化において大きな違いがないことが伺えます。
翻訳をする場合にもほとんど言語のニュアンスを崩すことなく行なうことができることになります。
人の移動する速度の場合の翻訳はそれぞれの言語が持っている基本語の数が異なりますので、どうしても原語が持っているニュアンスを伝えることが難しくなります。
基本語の数が少ないほうは基本語を使いながらも新しい言葉を作り出すことがあります。
「jog」に対して「小走り」などという言葉を生み出すのがよい例ではないでしょうか。
「はしる」という基本動作は残しながらもその言葉を形容することでニュアンスを伝えようとするものです。
日本語にとっては「小走り」は基本語ではありません。
「あるく」「はしる」に比べると使う人によってその動作に対しての感覚がずっと異なる表現でもあります。
場合によっては視覚的な補助があれば、「小走り」よりも「jog」をそのまま伝えたほうがニュアンスとして伝わりやすいこともあります。
英語はもはや世界の公用語としての立場を確立した言語ということができます。
世界で活動しようとする場合や世界との接点が多い場合には、英語と日本語の持っているカテゴリによる言葉の違いを理解しておくことが大事なことになりそうです。
英語と触れずに生きていくことが不可能な現代では、もう一度日本語について考えてみるいい機会なのではないでしょうか。
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