2016年7月25日月曜日

言語情報は耳から

日常生活において得ている情報のほとんどは視覚によって得ているものと言われています。

その比率は研究者や実験方法によっても60%から90%程度と異なっていますがどの結果からも半分以上を占めていることは間違いがないようです。

二番目の聴覚に比べると10倍以上というデータもあり、視覚は情報収集のための一番大切な受信器官となっています。


ところが情報の対象が言語情報ということになるとこの比率が大きく変わってくることになるようです。

言語情報についてはその80%を聴覚によって得ていると言われています。

言語を理解するためには「きく」という行為が一番大切なことになるようです。


すべての言語について同じことが言えるのかどうかは少し考えてみる必要がありそうです。

文字を持たない言語であれば聴覚による情報が100%かもしれませんし、日本語のように四種類の文字を持ちしかもそのうちの一つは漢字という文字自体に意味を持っている表意文字である場合には視覚による情報もある程度の比率は占めているものと思われます。

中国語のように表意文字である漢字しか持たない言語においては視覚による言語情報もそれなりの割合があるのではないでしょうか。

しかし、日本語のについてこのような実験データを見たことがあまりありませんので何とも言えないところです。

それでも、中国語以外の他の言語に比べると文字に頼った伝達が多いことは間違いがないと思われます。
(参照:文字頼みの日本語


この種の実験で一番有名なのものが、アメリカの心理学者であるアルバート・メラビアンが行なったものではないでしょうか。

特殊条件下における状況を扱ったものなのですが誤った解釈が広まってしまい、「人は見た目が一番重要」あるいは「話の内容よりも喋り方のテクニックが重要」という結論が導き出されると言うことが起きてしまっています。
(参照:メラビアンの法則 [ウィキペディア]


いくら日本語が文字に依頼することが多い言語であるとはいっても、口頭による聴覚に頼った情報の方が多くを占めていることには間違いはないと思われます。

それは、言語の成り立ちを見てみてもわかることですし、日常生活を振り返ってみてもわかることではないでしょうか。

視覚に頼った言語伝達では視覚に訴えるための書くという過程なりツールを必要としていますが、聴覚に訴える場合には何の準備も必要としておらず即時に対応することができるものとなっているからです。

視覚による言語伝達は聴覚による場合よりも準備を必要としている分だけ割合が減ってしまうことは仕方のないことだと思われます。


聴覚による情報は視覚による情報に比べると瞬間的なものが多くなります。

視覚による情報はその場に捉えることができたものが存在し続ける限り何度でも確認できることになります。

しかし、聴覚による情報は録音でもされていない限りは同じ対象を再確認することはほとんどできないものとなります。

したがって、聴覚による情報は視覚による情報に比べるとより短い瞬間的な時間で認知しなければならないことになります。


しかも聴覚的な言語情報は一つの音にとどまることなく連続的に言語の音が押し寄せてきます。

それは聞き手によってコントロールできるものではなく聞き手による認知能力の違いを無視したものとなっています。

さらに、視覚による言語情報は受け手の意思によってその情報に集中することができ同時に存在する他の情報を遮断することが可能ですが、聴覚の場合は同時に存在する音情報を消すことはできません。

聴覚による言語情報は視覚による場合よりもかなり精度として落ちることは仕方のないことになると思われます。


さまざまな音が存在する中で言語情報であるということを認識するだけでも大変なことだと思われます。

そのために母語として幼児期より馴染んできた言語が持っている周波数帯については、聴覚がとても敏感に鍛えられていることになっているのだと思われます。
(参照:周波数から見てみた言語

日本人が音楽や録音についても重低音域に対して敏感でうるさいのは世界的にも認められている特徴となっています。

これは日本語が持っている周波数帯が低音域に集中しているために、その中で音から言語を聞き分けるために磨かれてきた能力ということができます。


言語情報がどのような伝わり方をしているのかは、聴覚が中心となっていることからも一般的な情報を視覚から得ている場合としっかりと区別して知っておく必要があると思われます。

音を聞き分けるだけでも大変なことなのに、言語としての音を聞き分けてさらに言葉の音としての捉えるための活動は決して簡単なものではなさそうです。

どのようにして言葉としての理解に至っているのかを知ることは、話して伝えるための基本的な知識として大切なことになります。

補助的な情報として文字情報を使うこともありますが、ほとんどの情報を聴覚から得ている以上はそのことに対しての対応の方が大切になります。

日本語の持っている音について改めてきちんと考えてみる必要がありそうですね。
(参照:日本語で話していること


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