義務感や何らかの強制力によって話しを聞かされるような状況でない限りは、自分の意思によって何かを求めて話しを聞いていることになります。
その求めていることに対しての自分自身が持っている言葉があります。
いわゆるキーワードと言われるものがこれに当たります。
キーワードを設定して話を聞くことは、キーワードによって検索することによく似ています。
まずはキーワードに完全合致することに反応することになります。
次にはキーワードを含む言葉や文章に対して反応することになります。
全体一致や部分一致が行なわれることになるのではないでしょうか。
キーワードを設定することはそれ以外の言葉を排除しやすくしてしまうことにもつながります。
多くの言葉を持っていて狙いをつけた話を聞きたい場合には厳密なキーワード設定は効果を発揮することとなるのではないでしょうか。
ところが、人の話しを聞く場合には焦点の絞れた目的をもって聞いている場合だけとは限りません。
むしろ、目的自体は思っているよりも漠然としたものである場合の方が多いのではないでしょうか。
特に日本語を母語として持っている人に共通した感覚としては、具体的な技術的なことを求めて聞くことよりも結果としてものごとに対しての向かい方や姿勢といったものに対して評価する傾向があります。
明確な目的をもって話を聞いている場合には具体的なキーワードが設定されている言葉多く、そのキーワードに触れられない場合にはフィルターにかかって素直に受け取ることができない場合が多くなっているようです。
事前に告知されているテーマや話の概要にキーワードが含まれている場合は勿論のことですが、自分の設定したキーワードが感じられるテーマや概要に対しても反応をすることになるのではないでしょうか
聞き手の設定しているキーワードが話し手の伝えたい意図と合致している場合には、聞き手のフィルターがほとんど役に立たずに受け止めることができると思われます。
その場合には、聞き手の想定していなかった言葉に対しても素直に受け入れることができる環境が整っていることになります。
結果として聞き手にとっての思いがけない多くの有用な話を受取ることができることになります。
聞き手の設定したキーワードと話し手の意図が合致していない場合や聞き手の設定していたキーワードがほんの少ししか登場してこない場合には、話し全体に対してもフィルターがかかってしまうことになります。
自分の設定したキーワードに合致したり近い言葉に対してだけ反応するようになってしまい、フィルターにかかって切り捨ててしまう部分が多くなります。
せっかくの話しを聞き手が自分の目的のためだけに限定して受け止めてしまうことになります。
結果として、聞き手の持っている感覚に合致する内容しか受け入れることができないような環境となってしまっていることになります。
このフィルターは話を聞いている途中でも作られることになります。
聞き手が話し手の話しを聞きながらも受け取るためのキーワードの設定を変更する場合がこれに当たります。
話しを聞く目的を途中で変更するといったことになります。
話し手に意図があるように、聞き手にも話をきくことに対しての目的があります。
話し手の意図を事前に的確に把握することはほとんど困難なことだと思われます。
そのために、テーマや概要が提示されることになるわけですが話し手の意図までが明確に表現されていることは決して多いとは言えません。
むしろほとんど無いと言った方がいいと思います。
聞き手が意識していなかったキーワードではない言葉に対しても素直に受けいることができる環境においては、いわゆる「気づき」が生まれやすいことがあります。
「気づき」とは聞き手が持っていた言葉と話し手から受け取ることができた新しい言葉の間で新たな関係が結ばれることです。
場合によっては聞き手が持っていた言葉同士であっても今までになかった関係で結ばれたり、新しい意味で結ばれたりすることも含まれます。
聞き手がすでに持っている言葉でのつながりは、聞き手にとっての既存の知識であり「気づき」ではありません。
既知の確認をできることはあったとしても「気づき」にはつながらないものです。
新しい言葉としての意味や使い方としての「気づき」になるのか新しい関係としての論理としての「気づき」になるのかは、聞き手が既に持っていたものによると思われます。
まったく同じ話を多くの人が聞きながらも、その評価が異なるのがこれらのことによるものだと思われます。
無意識にかかる言葉のフィルターで行なわれる選択された言葉や内容の受け入れと、聞き手の持っている既存の言葉や論理との関係が結果としての評価になってくると思われます。
言葉のフィルターは常に外せばいいというものでもありません。
聞く内容や目的によってフィルターのかけ方の強弱や分野を調整することが大切になります。
かなりの柔軟性をもって行なうことで言葉遊びまでを受け入れる環境を作ることになりますし、厳格さをもって行なえば専門家の学術論的なものになるのではないでしょうか。
人の話しの評価は話し手の意図にかかわらず聞き手の側で勝手に行なわれるものです。
それだけに人と共有するような対象にはならないのではないでしょうか。
同じ話を聞いても聞いている内容は一人ひとり異なっていることになるのですから。
しっかりと目的を確認して聞くことが大切なのかもしれないですね。
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