日本語には同じ様な役割を持った文字が二種類存在しています。
共に仮名と呼ばれる片仮名と平仮名です。
一般的な表記としては片仮名はカタカナと表記し平仮名はひらがなと表記することが多いのではないでしょうか。
片仮名(カタカナ)、平仮名(ひらがな)の呼び方の起源にもいろいろな説が存在しています。
「古今和歌集」にある漢字による序文のことを「真名序」といい、仮名による序文のことを「仮名序」と呼ぶことからわかるように、この時期には漢字で表記する漢文が正規の表現であり仮名による表記は仮(かり)のものとして正規の表記ではなという感覚がありました。
漢語の到来以前に原始日本語として文字を持たない言語(古代やまとことば)が存在していたことは間違いのないことです。
中国の先進文化との交流においては漢語を使用することが前提となり、漢語が使えることがエリートとしての証でもありました。
仮名が必要とされたのは、「古代やまとことば」として日本語を表記するためには漢語では不都合が多かったためだと思われます。
漢語で輸入してきた書物や技術を「古代やまとことば」に変換することが行なわれないと、それらの文化や技術を広げていくことは出来ません。
漢語を母語として日本に渡ってきた秦氏を中心とした帰化人たちが使いこなしている漢語を「古代やまとことば」に翻訳する活動が必要とされていたのです。
「古代やまとことば」には文字はなく音しかありませんので漢語を「古代やまとことば」に読み下すという翻訳方法が採られたのです。
その時に必要となった「古代やまとことば」の音を文字として表す表音文字として作られたのがカタカナです。
カタカナの呼び方は仏教典の原典であった梵字(サンスクリット語)の読み方やヘブライ語などに求める研究もあります。
一般的には漢字の一部を利用した文字で完全な文字ではないことから片仮名と呼ばれたとされていることが多いようですが、後からできた仮名が平仮名と呼ばれるようになったことによってその対比として片仮名と呼ばれるようになったのではないかと思われます。
片仮名も平仮名もともに音を表すための表音文字と言われるものですが、よく見ていくと一文字一音の原則をより厳格に守っているのは片仮名の方だということが分かります。
平仮名においては同じ文字に対して使われ方によって異なる音に変化する文字がいくつか存在していることが分かります。
格助詞として使われる「は」は「ハ」とは読まずに「ワ」と読むことが典型ですし、方向や目的を表す助詞である「へ」は「エ」と読むことになります。
(参照:同字異音も日本語らしさ)
平仮名では「わたしは」となりますが、同じことを昔の電報のように片仮名で表記すると「ワタシワ」とすることが多くなります。
片仮名の方が表音文字としての完全度が高いことが分かるのではないでしょうか。
このことは現在の私たちでも意識せずに行なっていることでもあります。
より正確に読み方を表記しようとするときは平仮名よりは片仮名を使うことの方が多いのではないでしょうか。
日本語の標準的な表記方法は和漢混淆文(わかんこんこうぶん)と言われる漢字と仮名の入り混じった文章です。
この場合でも仮名として使われるものは平仮名と片仮名があります。
平仮名はつい最近になって標準的な表記となったものです。
昭和二十年の太平洋戦争時の国語の教科書は漢字とカタカナによる表記でした。
法律や役所の手続き書類、公的な記録についてはすべてが漢字とカタカナによるものでした。
「アイウエオ」についてもカタカナによるものが標準でした。
ひらがなについては「いろは」によって女子供や大衆の使用する文字であることはつい最近まで位置づけられていたことです。
教養の高いことの証は難しい漢字を使いながら片仮名を使って型にはまった文章を書き理解できることでした。
この感覚は今でも残っているのではないでしょうか。
漢字で書ける言葉をひらがなで書く行為は一段下に見られる場面が多いと思います。
反対に漢字とカタカナによる表記は見た目にもカチンとした印象を持ちますし精度をもって書かれているような感覚を持ってしまうことになります。
中国との国交においては漢語を漢文として表記する技術が必要でした。
位置付けとしては中国に対して貢物をしてその庇護下においてもらうことを目的としていましたので、相手に対して最大限の敬意を払った相手の表現を使用することになりました。
その中でより相手に高度な民族であることを示して少しでも対等に近い立場を得るためには、届ける書面の文章の漢文としての格が問われていたことになります。
直接中国と接することが可能であったスーパーエリートたちの専用言語であったということができるでしょう。
その次の段階にあったのが漢語を「古代やまとことば」に翻訳した読み下しです。
日本における最高の教養を持った者たちの知的作業と言えるのではないでしょうか。
そのために生み出された片仮名は決して漢字からだけ作られたものとは言い切れない文字がたくさんあります。
片仮名の文字となったもとになる漢字(字母)を見てみても素直にうなずくことができないものが存在しています。
まるで当時の日本に入って存在していた文字が漢語だけではなかったことを示しているかのようです。
そこには梵字の姿や音、ヘブライ語の姿や音とした方がわかり易い文字が存在しているのです。
「古代やまとことば」を音として表記するために純粋に作られた表音文字が片仮名だったと思われます。
実際に使用されたのは漢語に触れながら勉強し理解する必要のあった人達です、当時の環境においては一部の皇族と高僧たちではないでしょうか。
そこには国作りに参加した帰化人も含まれていたのではないでしょうか。
平仮名が生まれてくるのは「古代やまとことば」が持っている表現をより忠実に文字として表現するための漢語から離れた独自日本語を表記するためだったと思われます。
母音と子音の組み合わせで悉曇学を参考にしながら学術的に論理的に出来上がった片仮名に比べると、より情緒的柔軟さを持った表現に適した見え方をする平仮名は「古代やまとことば」のもう一つの面を表すために作られたものだったのかもしれません。
上から下まで身分に関係なく歌(和歌)を書くときはすべてひらがなでした。
大衆文学は少ない漢字と多くのひらがなで書かれていました。
寺子屋で町屋の子どもたちが学ぶのは「いろは」でした。
武士の子どもが学ぶのは漢字とカタカナでした。
片仮名があったから平仮名がができました。
外来語を日本語(やまとことば)として理解するためにはカタカナが大活躍をしました。
日本語(やまとことば)を日本語らしく表現するためにはひらがなが欠かせません。
論理的な文章には横書きの漢字が多い片仮名混用文が適しています。
情緒的な文章には縦書きの漢字が少ない平仮名混用文が適しています。
日本語が聞くことよりも読むことの方が理解しやすいのはこんなことにも影響されているのかもしれませんね。
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