どこかに「お前ら、知らないだろう」といった奢りがありませんか。
私自身もその典型に陥っていた時期があります。
それはネットの世界での成功者といわれる人がリアルのセミナーで語っていたことです。
具体的なやり方や手法なんかいくらでも話してやる。
100人が聞いていても聞いたことを実際にやってみる奴なんか一割程度しかいない。
さらに、やってみて失敗してその先を自分で工夫してみる奴は、さらにその中の一割程度しかいない。
工夫をし続けることができる奴しか成功できないことがわかっているから、具体的な方法をいくらでも話すことができるし真似される怖さもない。
それだけではなく、本気でそこまでやっている奴ならどんなことをしてでも仲間にしたいとも語っていました。
どんなに具体的なやり方や手法を実績を交えて伝えても肝心なことを理解してもらう努力を怠っていることに気がついていないのです。
自分自身では経験をして体で分かっていることかもしれませんが、いっても分からないことであると思い込んでいることになります。
そして成功という定義が経済的な成功をもって共有されていることが自然とでき上がってしまっている前提があります。
そのための実績があるから聞く側の方も理解しようとする意識をもって聞くことになるのだと思います。
真似をするための現実的な手法を知ろうとする意識に対して応えることが求めることに対しての答えであり興味の対象になっているのです。
したがって、より現実味のあることを求めていますのでより自分に近い環境で成功した人の話やより大きく成功した人の話が自分にとっての参考になるものであると思い込んでいるのです。
そして、いろいろな人の話や情報を知ることによって知識ばかりが膨れ上がっていくことになります。
余分な知識があることによって逃げ場ができてしまうことになります。
余分な知識がなければ、ひたすら今やっていることを磨き上げることしかできません。
そうすればどんなに苦しくともいつかは必ず何かを成し遂げることになります。
逃げ場を見つけることができると、苦しくなると逃げ場に移動し続けます。
それの繰り返しで、結局何一つ成し遂げることができなくなります。
何かをやりきったことのない理屈の立つ人の典型ではないでしょうか。
器用貧乏とも言えるのかもしれません。
より多くの知識を身につけることが大切だと思っていたわたしは、本を読んだり話を聞いたりしていろいろな成功物語を知識として集めてきました。
やり方や目の付け所など様々な手法ばかりたくさん持っていました。
何か一つのことで上手くいかなければ持っている知識の中から違うことをしてみることに慣れていました。
一つのことをやり続けて失敗を繰り返しながら工夫を重ねていくことができなくなっていました。
あきらめが早くなりすぐにほかのやり方へ目が移ってしまうのです。
親切な先達たちが本当に伝えたいと思っていたことを理解できていなかったのです。
自分が目の前で欲しがっていたことだけを選択して取り込んで理解したつもりになっていたのです。
本当に言いたいこと伝えたいことを理解してもらうためには、そのことに触れる前に露払いをしていおく必要があることを学んだのです。
話し手がどんなに伝えたいことがあったとしてもきき手の求めていることが強ければ強いほど、さらには両者が合致していない場合などはとても無駄な時間となってしまうことになります。
とくに強烈なタイトルやインパクトの強い表現はそれだけで聞き手の興味を絞ってしまう可能性があります。
話しの初めの段階で本当に理解してもらいたいことを伝えながらも、聞き手のフィルターを外すことをしておかないと上手く伝わらないものとなっています。
本当に理解してもらおうと思うとやるべきことがたくさんあります。
その努力にもかかわらず終わってからの感想やアンケートがピントはずれの場合もたくさんあります。
でも、それを知ることが大切です。
聞き手を批判することは出来ません。
どの様に理解するかは聞き手の独占的な活動だからです。
伝えたいことが伝わらなかったと言ってきき手に原因を求めることはできないのです。
理解してもらおうとすること、伝えたと思うことが大きいほど実際に理解してもらったこととのギャップを知った時に愕然とします。
言い放しにしないためのフォローはどれだけのことが伝わっているのかを確認するためには必ず必要なことになります。
直接にくつろいだ雰囲気で確認ができる懇親会はそのためにとても有効なことですが、すべての人との会話も難しいことではないでしょうか。
少なくともアンケートでの確認はしておきたいところです。
言い放しを続けていると理解してもらおうとする姿勢がどんどん薄れていきます。
本当に伝えたいことや理解してもらいたいことは、ある意味では当たり前のことが多くなります。
特殊なことが必要なわけでhないことがほとんどだからです。
それでも聞き手のほとんどは絶対的な特別なやり方や方法を求めていることが多くなります。
理解してもらうための努力は常に怠るわけにいきません。
何を理解してもらいたいのかを明確にするとともに素直にそれを受け止めることができるための露払いが必ず必要になります。
これを省きますとせっかくの伝えたい内容が歪んでしまうことも起こることになります。
テンションを挙げて勢いで押し切る内容の物とは違った本質的なことが伝えたいことではないでしょうか。
テクニック的なこととは異なった本当に伝えたいことをしっかりと理解してもらうための準備はどんなにしても足りないのでしょうね。
伝えたいこと、理解してもらいたいこととそれに対しての露払いは自然にできるようにしておきたいものです。
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