一度覚えた言葉の意味がそのまま記憶されていると思っている人は意外と多いのではないでしょうか。
脳科学における記憶について見てみると、記憶は常に上書きされ書き換えられており変化しているということだそうです。
対象となる言葉について何らかの出会いや経験を繰り返すたびにその言葉についての解釈が上書きされていくことになるようです。
また、対象となる言葉が持っている関連する言葉は人によって異なっていますが、その関連する言葉に対しても記憶上の影響を与えるのではないかと言われています。
ことばのネットワークは人の経験によって作られているものですが、一つひとつの言葉がどの様な言葉のネットワークになっているかは千差万別です。
そのためにどんな言葉まで影響を及ぼしているのかは人によって全く異なっていることになります。
小学校の義務教育で国語として辞書的な意味を叩き込まれた段階では、同じ言葉に対してはほとんどの人が同じ意味を持っていたはずです。
それが同じ言葉に対しての経験を重ねていくうちにその人独自の解釈を与えていっていることになります。
また、その経験の捉え方によっても上書きのされ方が異なっているようです。
自分の持っている解釈と合致する内容だけを取り込んで上書きして異なる部分を切り捨てていくことによって、持っている解釈をより強固にしていることもあります。
新たに出会った経験と持っている解釈との違いを敏感に感じ取って受け入れてより広い解釈ができるものとして上書きしていくことがあります。
ひとりの人の中でも常に同じ上書きの方法が行なわれているわけでもありません。
この取り込み方によっては自ら固定観念を作っていくことにもなっていると思われます。
どの様な言葉にしても自分のなかで何らかの解釈ができていない言葉は人に対して伝える場面においては使うことができません。
きちんと伝えなければならない場面においては更に解釈が明確な言葉を厳選して使わなければなりません。
したがって、様々な経験をしても解釈を限定して上書きをしている言葉は、自分が使う場合においても使い方が限定されてしまうことになります。
同じ言葉についても解釈だけではなく使い方も限定されてくることになります。
言葉を使うこともその言葉に対しての経験の一つになり、上書きされるための経験になります。
このことは、更に固定観念を強めることにつながっていくことになります。
固定観念は作られているのではなく自分で作っていることになります。
使う言葉が限定されてくると思考がその範囲に限られてくることになり、結果として行動が限定されてくることになります。
新しい発想や新しい活動のためには新しい言葉や同じ言葉でも新しい解釈が必要になっているのです。
このことを気づきと言ったり発想と言ったりしているのではないでしょうか。
日常的な業務として決まりきった作業を必要とされているものは固定観念を作り上げてしまった方が効率がよくなります。
そのためには言葉に対しての解釈をできるだけ限定しまうことが求められます。
ひとつの言葉に対してすべての人が同じ解釈をでき同じ行動を採ることができることが理想となります。
この状況を究極なまでに実現したものが軍隊です。
一般に使われている言葉であったとしても軍事用語として使用される場面においてはたった一つの限定的な解釈がされるようになっています。
どのような場面であっても全員が同じ解釈で同じ行動をできるようになっていなければならないのが軍隊だからです。
徹底した固定観念を作り上げられた環境と言えるのではないでしょうか。
戦後は、軍隊の効率の良さが企業経営に持ち込まれました。
軍隊組織や軍事用語が氾濫し生産性を高めるために固定観念化のための専門用語や業界用語がたくさん生み出されました。
言葉としては一般的なものと同じですが、そこで与えられた解釈はその環境における独特の限定的なものとなっていったのです。
活動環境の変化の少ない時は固定的な観念はとんでもない効率を生んでいきました。
現代は環境の変化が速く激しいうえに予測が難しい状況となっています。
どの様に環境が変化しようとも対応していかなければならなくなっています。
軍隊的な固定観念による経営は生き残っていくことができなくなっています。
固定観念を変えるためには新しい言葉を使わなければいけませんが、表面的に言葉だけ使っても解釈が伴っていきません。
どうやら現代社会はそんな状況にあるのではないでしょうか。
意味もわからずにあまりにも多くの言葉が飛び交っているのではないでしょうか。
自分なりの解釈による言葉が伝えられていることが少ないのではないでしょうか。
固定観念から離れるための一番簡単な方法は、持っている言葉に新しい解釈を加えることになります。
正しいとか間違っているとかはないのです。
言葉ですのでどんな使い方や解釈をしてもかまわないのです。
国語の辞書的な解釈に対しては正しいとか間違っているか言うことは可能ですが、言葉は個人のものです。
その人なりの解釈のされた言葉に触れ使い方に触れた時に気づきが生まれ共感が生まれるのではないでしょうか。
日本語の代表としての「やまとことば」も時代によって解釈が異なっていますし使っている人によって解釈や使い方が異なっているのです。
それでいいのです。
自分の持っているのと違った解釈や使い方に出会った時こそチャンスではないでしょうか。
間違っていると言って切り捨てて無視してしまうことは簡単です。
その活動を行なっていること自体が固定観念を作っていってしまうことにつながります。
固定化した途端に成長が止まるのではないでしょうか。
良いとか悪いとか正しいとか間違っているとかという判断をしていること自体が固定化していることだと思われます。
常に変化していることしかこれに対抗できることはありません。
成長とは常に変化していることなのでしょうね。
常に新しい解釈に触れているためにも人と話をしなければいけないのでしょうね。
一人でこもって黙々と作業することは固定観念を醸成していることになるのでしょうね。
さあ、今日もおしゃべりしに行きましょうか。