昔から気になっていたことの一つに重低音に対する日本人の敏感さがあります。
学生時代にはオーディオ(ステレオ)のブームがあり家電メーカーがこぞってオーディオ専用ブランドを立ち上げていました。
DIATONE(ダイヤトーン:三菱電気)、OTTO(オットー:三洋電気)、DENON(デンオン:日本コロンビア)、Technics(テクニクス:松下電器)、Aurex(オーレックス:東芝)、Trio(トリオ、日本ビクター)など懐かしい名前がいっぱいです。
自社の定番ブランドよりもより専門ブランド的に見てもらえることを狙った専門市場ということができたのではないでしょうか。
定番ブランドでもSONY、YAMAHA、Pioneer、SANSUIなどもあったことを思い出します。
欲しい商品もたくさんありましたが、なかなか手が出なかったものです。
一種のステータス商品でもあったと思われます。
専門誌もたくさんありました。
その中でも最終的に音として出てくるスピーカーについては一番多く取り上げられていたのではないかと思います。
その性能比較におおける大きな要素として重低音域のパワーと質がよく取りあげられていました。
学校の帰りにオーディオ店のスピーカー試聴コーナーに入り浸って聴き比べをしていたこともあります。
確かに、重低音域の響き方や伝わり方は商品によって違いが感じられることが多かったと思います。
聴覚の感覚が鋭かった時期でもあったのだと思います。
人の可聴域と言われる周波数は15Hz~20,000Hzくらいだと言われています。
年を取るにつれて可聴域が狭まっていきますが、これは高音域の方が余計に聞き取りにくくなるようです。
高音域に比べると低音域の方が年をとっても聞き取れる音域が減らないようです。
日本人が特に重低音域に対しての評価が厳しいのはなんとなくわかっていたことですが、それが日本語を母語として持っていることから出ていることだとは思ってもいませんでした。
下のグラフは、このブログでは何度も登場した言語が使用している音域帯を表したものです。
赤色で示した領域はその中でも特に使用頻度が高い領域となっている部分です。
母語として持っている言語はその人のすべての器官の機能の発達に影響を及ぼしています。
生まれた時、あるいは生まれる前から触れている母語についてはその人が生きていくために絶対に必要なものです。
その言葉を聞き取ることからすべてが始まることになります。
結果として、母語としての言語が発し(話し)易いように声帯をはじめとした機能が発達していきます。
聴覚についても、母語の言語が持っている音域帯が言葉として認識しやすいように他の音と区別がしやすいように敏感になっていると考えられています。
したがって、言語として使用している音域帯以外については相対的に感度が鈍くなっていくことになります。
外人に比べて日本人が特に重低音域に対して敏感であり気にするようになっているのは日本語という言語が持っている音域帯で言葉を効率よく聞き分けるために発達してきた聴覚の影響だったのです。
したがって、音としての心地よさも重低音域が心地よく響いているのかどうかが大きく影響していることになります。
このことは外国人が日本語を理解しようとする場面では苦労する理由でもあります。
反対に、日本人が外国語を理解するときにも同じことが言えることになります。
外国語を聞き分けるためには可聴域が広い若いうちに触れておいた方が効果があることはわかり易い道理ではないでしょうか。
音を聞き取るだけのことを考えれば外国語に触れるのは若いほどいいということになるのですが、外国語の習得については音だけで考えるわけにはいきません。
外国語を身につけるということは知的活動そのものです。
知的活動は母語によって行なわれていますので、日本語がきちんと身についていないと効率の良い質の高い知的活動ができないことになります。
外国語の音や意味や文法や語彙を理解するのもすべて母語である日本語で行なっていることになります。
使える日本語が身につくのはいつごろでしょうか。
いわゆるもの心がつくころである10歳前後と言ったところではないでしょうか。
それ以前に外国語に本格的に触れることは日本語の習得に悪い影響を与えることになります。
外国語の習得だけのために、あらゆる知的活動のための基本能力である母語の日本語の能力を削るわけにはいきません。
知的活動のための基礎力である日本語力を身につけることが何よりも優先することになるのではないでしょうか。
小さなころより英語に慣れ親しんでしまうと英語では使用しないような低音域の音を言葉として捉える能力が欠けてしまうことになります。
とくに各器官の基本的な発達が急ピッチで行なわれている幼児期においてはとても大切なことになります。
幼児期にはいろいろな年代のいろいろな日本語を聞くことこそ大切になります。
日本語聞き取る能力がしっかりと身についている人ほど重低音域に対して敏感になっているということも可能だと思います。
敏感になっているからこそ、言葉としての音と他の音とを区別して聞き取ることが可能となっているのです。
年をとればとるほど母語に対して保守的になっていくのは自然な行動なのでしょうね。
年を取るほど日本的な伝統的な判断や活動を好むのは極めて自然な活動と言えるようです。