2016年2月23日火曜日

聞き手の予測を助けるひらがな

日本語で話された内容を聞いている方は、必ずしも伝わってくる「ひらがなの音」を全て聞き取ってから理解しているわけではないことは先回も確認してみました。
(参照:きき手の予測を助けるはなし方

無意識のうちでも聞き手は話し手の発する言葉や論理をある程度予測しながら聞いていることになります。

もちろん、言語以外の目に見える情報も頼りにしているのですが、ここでは言語情報に絞ってみてみたいと思います。


この実際の「ひらがなの音」を全て聞き取る前の予測が強すぎると思い込みとなってしまい、仮に話し手が伝えようと思っている言葉と同じ言葉を聞き取れたとしても自分の予測した意味に当てはめてしまうことが起きます。

予測が強すぎたり断定的すぎたりすると予測した言葉や内容に合わせて理解しようとしてしまいまうからです。

そうなると、もはや人の話を聞いていない思い込みが勝ってしまう状態になってしまうことになります。


効率よく聞くためには予測は欠かせませんが、あまりに予測をしすぎると正確に聞き取ることの妨げにもなってしまうことになります。

正確さを求めれば全ての音を聞き取ってから言葉や内容を理解することを行なわなければなりません。

しかし、全ての「ひらがなの音」を聞き取ってから理解する活動を行なうことは大変な労力と能力を必要とすることになります。

聞き手の行なっている理解のための活動については少し前に触れていますので参考にしてください。
(参照:日本語で聞いていること


予測を助けるための言葉は漢字やカタカナ・アルファベットで記されることが多い名詞よりも助詞や接続詞といったひらがなで表記される言葉が多くなっています。

日本語で話された内容はどうしても聞きなれない単語としての名詞の方に意識が行ってしまいがちになります。

具体的なものから抽象的なものまで言語として持っている単語としてほとんどの物が名詞だからです。

「聞くこと」の画像検索結果

ところが、はなしの内容や論理についてはそれらの名詞(単語)がどのような関係にあるのかを理解することが大切になります。

その名詞同士の関係を表わしているものが助詞であり接続詞である「ひらがな」なのです。

それらは言語が持っている単語としてはほんの少しの数しかありません、日々のようにその数が広がっている名詞に比べたらほんのわずかな数だと言ってもいいくらいです。

しかも、その使い方や意味は固定的なものが多くいったん理解してしまえば意識しなくとも自然と理解できるものとなってしまいます。

つまりは、意味が変化したり数が変わってしまったりしている名詞に比べるとはるかに予測が簡単にできることとなります。


ききての最初の活動は「ひらがなの音」から言葉を聞き分けることから始まります。

聞き分けた言葉の意味を解釈するのはその次であり、言葉同士のつながりから話の内容を理解するのはさらにそのあとになります。

「ひらがなの音」から聞き分けられた名詞としての言葉には同音異義語もあれば一つの言葉で多くの意味を持つものもあります。

使い方によっては同じ言葉であっても真逆の意味で解釈をする必要のある言葉も少なくありません。

「犬も歩けば」の画像検索結果

それらの言葉の使い方から解釈を手助けするために自然に行なっていることが、助詞や接続詞などの「ひらがな」から先に論理を予測して言葉を解釈しようとしていることなのです。

「しかし」が聞き取れればその前とは反対の内容や言葉が出てくることが予測されます。

「さらに」を聞き取れれば前の内容を補足し強調するような内容や言葉が続くことが予測されます。

「〇〇は」と聞き取れれば○○が主体であり〇〇についての動きや内容が続くことが予測されます。


助詞や接続詞は使われ方がきわめて限定されたものであり、誰が使っても同じような使い方になるものです。

いちばん限定的に使われる言葉によって予測することは、自然と予測の精度を高めることになります。


話し手が意図している意味と聞き手が解釈した意味が異なったとしても名詞としての理解さえできていれば論理や意図を大きく外れることはありません。

意味が分からないなりに名詞であることさえ理解できれば後での調べようやとりあえずの理解の仕方も可能となります。

主題として大切な言葉なのか補足としての言葉なのか無視してしまっても影響のない言葉なのかの判断すら可能になります。


更に、話し手の意思だけではなく話しているときの気持ちや感情、そのような気持ちや感情が意図される環境や状況までもを理解するためにはひらがなの使われ方が大きな手助けとなります。

話し方のニュアンスがそこに現れるからです。

そのニュアンスがつかめればそこから反対に言葉を予測することも可能となります。


一生懸命に聞き取ろうとするほど一つひとつの言葉に意識が向いてしまうことになります。

内容を聞き取ろうとするからです。

そこには、話し手の気持ちや感情や置かれている状況を聞き取る意識が薄れてしまいます。


学校の授業を一生懸命聞き取ろうとするときのことを思い浮かべてください。

先生の気持ちや感情よりも話の内容を理解しようとしていたことが思い出されるのではないでしょうか。

このきき方に慣れてしまってはいないでしょうか。

新しく聞いた言葉や専門用語に意識が集中していたのではないでしょうか。


社会に出たての頃のききかたもあまり変わりがなかったのではないでしょうか。

その中で固定的な推測の仕方が出来上がっているのかもしれません。

「~べき」や「ねばならない」にある種の安心を感じてしまうのは私だけではなさそうです。


「ひらがな」を意識することで日本語はもっと大きな可能性を持っているのではないかと思っています。

音としてのひらがなは文字としての漢語が入ってくる前から使われていた「古代やまとことば」です。

やがて新しい言葉や使い方が加わって「やまとことば」が長い間継承されてきました。


それらの言葉を表記したものが「ひらがな」です。

漢字やカタカナ・アルファベットに惑わされることなく、2000年以上続く日本語の基本的な感覚をあらためて見直してもいいのではないでしょうか。

理解するために必要な予測を助けているのが「ひらがなで」です。

上手に使っていきたいですね。