2015年12月2日水曜日

自然科学の探究と言語感覚

日本語の構造的な特徴のひとつとして、主語が省略されることが多く語順がかなり自由であることがあります。

基本的な構文として主語が必要であり使用される言葉の語順が厳格に定められている言語に比べると、曖昧さと指摘されたり分かりにくさとして指摘されている原因の一つでもあります。

そのために、他の言語話者から見ると自己主張や自分の意見なのかどうかを文から読み取ることが難しく感じられる言語となっています。

書かれた文章であれば繰り返し意思確認することも可能ですが、話し言葉としてその瞬間で理解することはさらに難しいものとなっているようです。


日本語を母語とする者同士の間では実際に言葉となっているもの以外の感覚を共有することが可能であったとしても、言語での表現を絶対的なものとする他の言語話者達にとってはとても理解しにくい言語となっています。

主体者を明確に表現しない日本語は表現するための視点が移りやすいという特徴を生みます。

言い換えれば絶対的な基準を持たないということもできます。


自然科学は、ノーベル賞の分野で言えば化学・物理学・医学生理学の三分野にあたります。

2000年以降のこの分野の受賞者を母語別に見てみると面白いことが見えてきます。

国別では一番受賞者が多いのはアメリカですが、これは受賞時点での国籍でカウントしているためであり母語が英語の人だけではありません。


二番目に受賞者の多い国が日本なのです。

しかも、全ヨーロッパのこの分野の受賞者の合計よりも多い人数なのです。

母語が日本語である人でカウントするとアメリカ国籍になっている数人もカウントできることになります。


2000年以前に比べると明らかに日本人(日本語母語者)の受賞の比率は格段に高くなっているのです。

それも、新しい事実の発見と言う基礎研究分野においての受賞が続いています。

基礎研究に対する評価は日本国内よりも海外においての方が高いことはよく見えていることではないでしょうか。

ノーベル賞受賞者のほとんどは受賞以前には専門分野以外では知られていない人ばかりではなかったでしょうか。


自然科学の探求は絶対不変の事実の探究でもあります。

起きている自然現象を切り出して、そのことが間違いなく起きていることを証明することやそのことが起こるための事実の積み重ねを発見することにあります。

それらの研究結果を利用して技術や産業が発展してきたことは間違いのないことです。

そこには、絶対的な事実が存在することになります。


ところがこの絶対的な事実は人間と言う知的活動によって定義されているものであり、その知的活動は言語によって行なわれていることです。

言語の持っている特徴や感覚がその活動そのものに影響を与えていることを否定することは出来ないと思われます。

ノーベル賞の自然科学分野の対象は論文(原著論文)です。
(参照:原著論文と日本語

そのほとんどは英語によって書かれたものとなっています。

受取る側は英語の感覚でその論文を読み評価することになります。


ところが、その論文に至る思考を中心とする知的活動は母語によってなされています。

何ヶ国語を使いこなせる人であっても一番レベルの高い難しい知的活動においては自然と母語で行なわれていることが分かっています。

その知的活動の結果の表現することのみを英語で行なっていることになります。


絶対的な主体性を持たない日本語は、視点においてとても自由な活動ができる言語でもあります。

日本人が他の国の人に比べて感情移入が簡単に出来てしまい人の立場を理解することが素直に行なえるのは持っている言語の感覚によるものだと思われます。

それによって主語の省略や立場の入れ替わりなどにも対応できているのだと思われます。

言い方を変えれば絶対的な視点を持っていないとも言うことができます。


自然科学における現象を見つめる時にはより多くの視点から見ることが必要になります。

他の言語に比べると日本語は言語そのものが持っている感覚に視点にこだわらない自由さがあると思われます。


この感覚は2000年以降に顕著になったものではありません。

日本語が存在していた時から継承されてきたものと言えるでしょう。

それが世界において評価を受けるようになったのは、英語による表現が大きいのではないでしょうか。


日本人のノーベル賞受賞者の初期のころは英語を母語とする人たちとの共同論文であったり、英語を母語とする人たちによる評価論文のおかげであったと思われます。

最近では日本人による単独受賞が増えてきており、本人自身の手による論文が評価されてのこととなっています。

英語での論文の表現に慣れてきていると言えるのではないでしょうか。


日本語で行なわれた知的活動を英語で表現するためには、英語の表現による感覚にならう必要があります。

事実を事実として表記し主体を明確に表記し、意見や自己主張は事実を根拠とした論理で表現しなければなりません。

日本語で知的活動を行なった結果を英語で表現することによって、極めて明確な論理と証明が行なわれることになるのです。


思考言語としての日本語、表現言語としての英語はとても良い関係にあるのではないでしょうか。

世界に対して何かを発信する必要がある人は決して多くはないと思います。

しかしネットの普及に伴って知らないうちに世界と接している環境になっています。


英語で表現するときに自然に行なっていることがあります。

言いたいこと伝えたいことを英語で表現するためにもう一度日本語での表現をやりなおしているはずです。

日本語の感覚のなかで行なわれた表現を、英語の感覚に置き換えるための日本語で表現しなおしていることになります。

日本語はそれが可能なほどのたくさんの言葉と表現方法を持っているのです。


日本語は世界でも日本民族だけが持っている言語です。

もっともっとその特徴や感覚を知っておきたいですね。


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