外資企業に在籍した人にとっては「メンター(制度)」という言葉に馴染みがあるのではないでしょうか。
「メンター」の語源は古代ギリシャの詩人であるホメロスが書いたとされている「オデッセイア」という有名な叙事詩ににあるとされています。
そこに登場するメントールと言う名の人物が、王の息子にとってよき指導者・よき理解者・良き支援者としての役割を果たしたことから、英語としての「メンター」と言われる言葉ができたそうです。
そこでは反義語として、被支配者や被後見人を意味する「メンティ」という言葉も用いられています。
「メンター」によって導かれる人と言う理解でいいのではないでしょうか。
英語となっているメソッドや理論ではシンプルで理解はしやすいのですが、日本語の感覚には合わないことがたくさんあります。
その中でも「コーチ」や「メンター」などはその典型となっているのではないでしょうか。
「コーチ」と「メンター」の違いは、「コーチ」の方は成功体験、専門知識、お手本(ロールモデル)を自分が示すことを必ずしも要求されないことにあります。
そのために「メンター」には「メンティ」が欲する結果を出した実績が必ず必要になることになります。
精神文化が反映された社会や言語が持っている目標志向の傾向がとてもよく現れているのではないでしょうか。
定めた目標に対しての結果を出すことは勿論のこと、いかに早くという時間的な要素が大きく扱われています。
いつまでにどのような結果を出すのかが大切であり、そのことについての成功体験を継承して自力で行なえるようにするための支援者と言うことになります。
英語型の言語の中でもアメリカ英語型は特に結果と時間に対する意識が強いものとなっています。
そのために、同じ結果を出すことができるならば少しでも早くできる方法を選択する傾向があります。
目標を達成することが最重要であり、そこに至らない場合にはどんなに努力や工夫がされても目標達成以上の評価を得ることはあり得ません。
「メンター」は成功体験者による結果を出すことに焦点を当てた支援と言うことになります。
「メンター」と「メンティ」の関係は必ずしも両者が相手をお互いに認識している必要はなく、どちらかが一方的にその役割として位置付けていれば済むことでもあります。
自分勝手に思い込んでいる「メンター」が存在していても構わないことになります。
「メンター」に相当する似たイメージの日本語が「師匠」ではないでしょうか。
「メンター」に求められる一番の要件が求める分野においての成功実績である以上は、自分にとっては圧倒的な実績を持っている人である必要があります。
「師匠」の前提には弟子入りがあると思われます。
自分で勝手に「師匠」と思い込んでいても相手からは「弟子」と言う認識をしてもらえない限りはこの関係は成り立たないと思われます。
そのために必要な過程が弟子入りだと思われます。
「師匠」と「弟子」の関係においては簡単には目標設定や結果にこだわるようなことはないと思われます。
物事に向かう姿勢や態度、その分野に携わることにおける心構えなどといった全人格的な指導・支援が行なわれます。
わかり易い日本語で表現してみると、英語型の感覚においては「術」を磨くことを求めそれによっていち早くより大きな結果を成し遂げようとするものだと思われます。
それに対して、日本の感覚においては「道」を求めて試行錯誤を繰り返しどのような状況にも対応しようとするものではないでしょうか。
スポーツの競技会において競っているものは「術」であり、結果として順位が鮮明になるものです。
一位はその競技会における「術」としての最高位の結果となります。
「道」は他者と競い合うものではなく自らの対応力を限りなく高めていくものとなりますので、順位や他者による評価の対象とはなりません。
その分野における「自在」を求めるものとなり、どの分野から求めていってもやがては同じようなところへ向かっていくものと思われます。
柔術は術の競い合いの場でありルールに定められた中での勝敗に基づき優劣を明確に評価してその術を順位付けします。
柔道は試合の場においてはお互いの「道」の習得度を試し合う場であり優劣を決する場とはなっていません。
ですから、試し合いの環境を持てたその場に感謝し相手に感謝することで自然に礼の生まれてくるものとなっていると思われます。
「道」と名のつく分野で行なわれていることは基本的には変わらないことではないでしょうか。
「術」と「道」はどちらが上とか相容れないものではありません。
絶対的な価値としての感覚が異なっているだけのことです。
「術」は対象を自分の外において、それとの比較において明確な基準のもとに優劣・順位を決めることで結果を出すことに価値をおいたものです。
「道」は対象を自分自身において、外部の環境がどのように変わろうとも自分を自在に変化させることで適応することに価値をおいたものです。
「メンター」は「術」を磨いてより良い結果を出すことに適したものであり、「師匠」は「道」を目指すことに適したものであるということができます。
今の自分がどちらを求めているのか、自分の思考や感覚がどちらに適しているものなのか、今の少し先にはどこに向いていきたいのかなどはそれぞれ置かれた環境によっても変わってくるものだと思われます。
言語の持っている基本的な感覚は、その民族の精神文化を反映したものとなっています。
母語によって、その言語の感覚は第二の天性として染みついていることになります。
目標志向型の社会作ってきた日本の社会環境は、日本語の感覚の強い人にはストレスの多い環境となっています。
企業においても少しずつ日本語の感覚が取り入れられるようになってきていますが、いまだに英語型のマネジメントによって運営されている企業もたくさんあります。
目標志向型の活動に抵抗がなくストレスを感じない場合には、どんどん活躍できる環境となっていることになります。
「メンター」と「師匠」、あなたにとってどっちがしっくりくるのか考えてみるのもいいのではないでしょうか。