2015年11月5日木曜日

「村八分」の日本語感覚

日本語の持っている感覚がYesかNoかという二者択一には向かないことは何度か触れてきました。
(参照:Yes と No の間にあるもの など)

二者択一の二元論的な感覚を基盤としている欧米の言語の感覚からすると、日本語自体がとても曖昧で結論や自己主張が分かりにくいものと映ることになります。


戦国後期から江戸時代において、社会の富を支えていたのが農民のつくりだすコメでした。

したがって、太閤検地を初めとする農民と田に対する管理は最も厳しいものだっと言うことができるでしょう。

武家の社会における家や藩と同じような感覚で村という強固なコメ生産共同体に属していないと社会生活ができない環境でした。


村においても様々な掟や役割が定められました。

これを破った者や家族には「村八分」と呼ばれた制裁が科せられました。

言い換えれば村社会における絶交ということではないでしょうか。


さて、この「村八分」における「八分」について若い人たちがほとんど知らないことに気がつきました。

そういう私も確認のためにもう一度調べることしましたが。


「村八分」とは村における制裁として、十項目ある村の共同助け合いの行事のうちの八項目については村としての協力をしないことになります。

十項目の助け合いの行事とは、冠、婚、葬、出産、病気、建築、火事、水害、年忌、旅行の事であり、制裁を受けることになっても葬儀の手伝いや火事の消火の手伝いの項目だけはすることから「村八分」となりました。

現代風に読み替えてみれば、成人式、結婚式、葬式埋葬、病気見舞い世話、新築改築の手伝い、火事の防火消火活動、水害の予防復旧活動、年回忌の法要、団体旅行ということになるのでしょうか。


村全体で結束して制裁の対象となる者や家族との交際を絶つことですが、そこで生活しているうえでの最低限の村全体に影響するようなことにに対しては共同活動を残しているのです。

放っておくと周りに迷惑をかけることの大きな事柄とも言うことができるかもしれません。

なんらかの接触の機会を確保していることになり、完全なる絶交とはなっていないのです。

村の掟を破って共同体としての活動者にふさわしくないと判断されても、コメの生産者としての労働力としては確保していることになっていたのではないでしょうか。


また、「村八分」がどのように解消されたのかについては見つけることができませんでした。

それだけに簡単には解消されることのない厳しい制裁であったことがうかがえるのではないでしょうか。

村で生活をする者にとっては一番厳しい制裁であったと思われます。


それでも二分の活動の余地を残していることがいかにも日本の感覚らしいところではないでしょうか。

絶対や完全は人が決められることではないことを分かっていたのではないでしょうか。


日本においては恵まれた環境において生命に対する最大の脅威は自然現象でした。

民族や武力による侵略は自然現象の脅威の前ではかすんでしまっていました。

自然の環境変化による脅威に対応するためには、異質さや争いを乗り越えて共同して当たることが必要だったと思われます。


人に対する侵略の脅威の方が自然の脅威よりも勝っていたヨーロッパや中国の環境においては、そのために自然を利用することがあっても自然の脅威に対して協力をし合うことはありませんでした。

むしろ、自然の脅威に協力し合うことができた者同士が民族として強固な共同体として存在して、他の共同体を侵略しながら勢力を広げていくのが歴史だったと思われます。

白か黒か、敵か味方かは明確な意思の表明が必要でありそれは生死を分かつ判断となっていたのではないでしょうか。


日本においては民族の存亡にかかわるような外部よりの侵略をほとんど経験していません。

そのために生死にかかわる一番の脅威は自然環境の変化でした。
(参照:日本語の感覚に迫る(2)・・・自然への畏怖

そこにおいてはどんなに努力しようとも抵抗しきれないものとして神の存在も感じていたと思われます。


どちらかを必ず決めなければいけないという環境ではなく、日々激しく変化する自然環境に対して柔軟に適応できることが理想として求められていたと思われます。

そのために右か左か、白か黒かといった感覚ではなく「どちらかと言えば白、しかも次は変わるかもしれない」という中庸の感覚が育ってきたと思われます。


「村八分」とはある種の一番重い罰です。

それにもかかわらず完全な遮断をせずに接点を残してあるという点に、極めて日本的な感覚を見ることができるのではないでしょうか。

恐らくは、破門や勘当においても同じようなことがあったと想像することができます。


日本語の感覚は見方によっては曖昧さを持ったものですが、同じことに対しての見方を変えれば柔軟性と適応性ということもできます。

日本語を使っているだけでその感覚に影響を受けます。

ましてや、母語として日本語を持っている場合には第二の天性として備わっているものと言ってもいいのではないでしょうか。

言語の感覚を知って、それを利用した方がより質の高い言語活動(知的活動)ができるのでしょうね。