2015年10月8日木曜日

「仮名」のチカラ

日本語の持っている言語感覚は、他の言語とは異なった独特のものであることはことあるたびに触れてきました。

日本語の中でも表記するための文字は、漢字、アルファベット、カタカナ、ひらがなと四種類もあります。

その中でも、漢字とアルファベットについては日本語としての独特のものではない借りてきたものです。

日本語としての独特のものは「仮名」と呼ばれる「カタカナ」と「ひらがな」にあります。


漢字の使用頻度も高いのですが、漢字だけを表記文字として使用している中国語とは持っている言語感覚に共通点が少ないために、日本語の感覚としての独自性を維持継承しているのは「仮名」によるものであると思われます。

そのことは、漢語という言語が日本に入ってくる前から文字を持たない原始日本語として「古代やまとことば」が存在していたことを考えれば容易に想像できるのではないでしょうか。


漢語が入ってきたときの中国の文明は間違いなく世界で一番発展していた文明です。

そのまま漢語を使い切っていればもっと楽に中国文明をコピーできていたのかもしれません。

秦氏をはじめとした中国文明と言語持って日本に渡ってきて、政治や信仰の中心に立っていた人たちもたくさんいました。

それでも、日本語は漢語(中国語)ではなく「古代やまとことば」を基本として表記文字としての「仮名」を生み出すことで独自の文化を歩むことを選択したのです。

自然の流れとしてそうなったのか、どこかで強い力が働いたのかはよく分かっていないことだと思います。


文字を持たない「古代やまとことば」が表記文字としての「仮名」を得たことによって「やまとことば」としての独自の発展をしていくことになります。

言語は知的活動そのものですし、それ以前に人としての感覚そのものになります。

中国からの借り物文化が「仮名」を生み出したことによって初めて、独自の発展を遂げる日本文化の基礎が出来上がったということができます。


つまり日本語の持っている独特の特徴という場合には、「仮名」によって築かれて継承されてきた感覚がその基本となっているのです。

現代では、あまりにも漢字に頼った表現が多くなっています。

それは時代の要請でもあったと思われます。

明治期に世界に対して大きく門戸を開いいた時に存在していた文明格差を急いで埋めるためには、造語力の優れた漢字に頼るしかなかったからです。


明治維新をきっかけに日本の感覚そのものが大きく変化していきました。

それは言語にも現れています。

新しく生み出された膨大な言葉は漢字によって表現された現実的な具体的なものを表すものがほとんどでした。

物ではない概念的な言葉についても同じように漢字で表現されることになり、物を表す言葉と同じように表現されるようになってしまいました。


机、椅子、屋根、包丁などと同じ感覚で、哲学、平和、権利、思想などという言葉が使われるようになったのです。

この時に生み出された言葉たちの作られた方が、まさしく漢語としての言葉の作られ方と同じだったのです。
  • 同じような意味の漢字を重ねたもの
  • 反対または対応の意味を表す字を重ねたもの
  • 上の字が下の字を修飾しているもの
  • 下の字が上の字の目的語・補語になっているもの
  • 上の字が下の字の意味を打ち消しているもの

一つひとつの漢字については既に使いこなせるものがかなりあったと思われます。

これに加えて、漢字で書かれている資料(代表としては仏教典や仏教用語)から似たような意味と思われる言葉をそのまま借用してきたりしました。
(参照:和製漢語の創出和製漢字のチカラ など)


ここで行なったことは、独自の言語である「仮名」で独自の文化を築いて継承してきたところに新たな文化を導入したことに他なりません。

導入した相手こそ異なっていますが、やった内容は中国文化を漢語で導入したことと同じことを行なったことになります。

しかも漢語を導入したときと同じように、基本的な言語の持っている感覚と異なる感覚の言語の文化から言葉だけを持ってこようとしたのです。


それでも何とか世界の潮流に追いつき、最後の帝国として世界の動きの最先端についていくことができました。

それは自らの判断基準を持たない、世界の流れや世界の最先端との比較において行なわれてきたことでした。

漢語が導入されてから「仮名」が生み出されるまで約300年以上が経過しています。


生み出された「仮名」は女性やこどもが使用するものとして文字としては漢字に対して低位に置かれていました。

とくに中国との国交があったころは、自らの立場を確保するためにも漢語による表現が公的にも必要であったことは理解しやすいことではないでしょうか。

その意味では、唐の弱体化が表面化してきたころに菅原道真によって提案された遣唐使の廃止(894年)は、その後の日本の独自性を決定的にした判断ではないでしょうか。


遣唐使の廃止の判断理由はよく分かっていません。

一説では、任命された自分が行きたくないために菅原者道真が言い始めたとも言われています。

「白紙(894)にもどす遣唐使」として記憶した人も多いのではないでしょうか。


このすぐ後から始まる平安後半期の「仮名」による日本文化の発展は、年表を見ているだけでも引き込まれるものがあります。

文字としての漢字は大変な力を持って存在していました。

漢語の持っている文明はやはり日本のはるかに上をいっているものでした。


漢語を「「古代やまとことば」に置き換えて理解していったのがこの時代ではないでしょうか。

音では全くわからなかったと思われます。

それは漢語を母語とする人たちが来て話していることも同じではなかったでしょうか。


「ことば」としての音は常に変化していきます。

「古代やまとことば」が持っていた音と日本に渡った漢語を母語とする人たちが持っていた音が融合してできたのが「やまとことば」の音ではないでしょうか。


「いろは」が登場する現存する最古の資料として何回か取り上げた『今光明最勝王経音義』には、実は50音図の原型が掲載されています。

さらにそれよりも70年ほど前の史料としてある『孔雀経音義』には、更にその原型だと思われる40音の音が並んでいます。

どちらも経典の「音義」ですから音としての解説をしたものです。

仏教典の解説は文字的な意味を説明したものはほとんどありません。


それは、漢語で伝わってきた仏教典そのものがもともと漢語で作られたものではないからです。

サンスクリット語で作られ語られていたお経を漢語で書き表したものが日本に伝わった仏教典なのです。

「悉曇学」として歴史を持つ中国では、サンスクリット語を漢語に変換したときの歴史を学ぶものです。


そこには、音として近しいものを漢語の音を利用して表現した方法が研究されています。

結果として漢語として訳されたものの中には、文字の組み合わせで意味があるように見えてしまうものが合ったりします。

また、翻訳する立場からは少しでも意味のあるものにしたいと思うことも当然ではないでしょうか。


文字がそれ自体で意味を持っている漢字だから起こることです。

サンスクリット語が分からない日本人は、漢語の仏教典からその文字の意味で解釈しようとします。

全てが訳が分からなければ諦めもするのでしょうが、所々では漢語の文字の意味だけで何となくわかってしまうところもありますので困り者です。


このことが分かっていた仏教関係者の中には自らサンスクリット語を学ぼうとする者も出てきます。

しかし、日本ではほとんど不可能です。

その原点は、遣隋使・遣唐使やその同行者となって自ら学ぶか、学ぶための資料を持ち帰るかしかなかったと思われます。


空海はまさしくサンスクリット語に対しても理解し話すこともできたと言われています。

更には、キリスト教になる前の旧約聖書においてもヘブル語についてかなりの知識を持っていたと言われています。


実は、漢語を利用して「古代やまとことば」を表記する技術は、サンスクリット語を漢語に音訳する技術によって助けられていたことが分かっています。

また、漢語についてはその歴史の中で様々に変化してきた音に対しての研究も書物として残されてきていました。

漢語を利用して「古代やまとことば」を表記する「仮名」を編み出した技術も、その基本は漢語を生み出した中国に存在していたことになります。


仏教典の「音義」と言われる解説書に「仮名」の原点が見えるのはそのためだと思われます。

仏教典のお経そのものはサンスクリット語の音を漢語で表現したものです。

したがって、文字には意味がないことになります。

そのお経のサンスクリット語の音を意味として解説したものが「音義」になります。


見た目はすべて漢語ですが、漢語で理解しようとしてもできないものとなっているのです。

当時の最高の文化人は僧でした。

「音義」を書くためには、解説として使っている文字の体系から説明しなければならなかったのです。

そのために50音図や「いろは」を凡例として記す必要があったのです。


「仮名」がある程度定着してくると僧の出番が減ってきます。

女性やこどもにまで「仮名」が広がっていくようになると、「仮名」によって人としての基本的な感覚が形成されていくようになります。

言語としての基本的な感覚が「仮名」によって形成されていきます。

それは「やまとことば」の感覚に他なりません。

漢字は大人になってから限定された環境でしか使わない道具となっていったのです。


「やまとことば」の感覚をもって漢字を使いこなしてきた日本人が、明治によって再び漢字の感覚を求められるようになったのではないでしょうか。

それでも日本語の根幹は「仮名」であることは何も変わっていないのです。

事あるたびに「仮名」については触れていきたいと思います。