明治期にヨーロッパの文明を採り込んだひとつに教育制度があります。
江戸から明治にかけて大きく変わったことの一つが教育制度です。
小学校という名称もこの時に生まれたものです。
最初の教育で重要視されたのは、江戸時代と基本的な違いはありません。
いわゆる、「読み書きそろばん」です。
全ての教育や知的活動の基本となるものが言語(国語)であることに変わりはありません。
江戸時代の後期には、漢学・国学・洋学という三つの系統がありました。
明治維新の原動力となったのは国学です。
それ以前には悉曇学という分野もあったと思われますが、江戸時代の中期以降は国学に取って代わられた形となります。
国学隆盛の基礎としての悉曇学があったことは間違いないことだと思われます。
(参照:「悉曇学」と日本語)
明治期の初期の教科書にはカタカナで「アイウエオ」が記載されており、本文もカタカナになっています。
系統だった学問として日本語を扱う場合にはカタカナの方がふさわしいと思われていたのではないでしょうか。
その意味では、日本語の基礎としてはカタカナによる音としての言語の習得に重点が置かれていたと思われます。
明治の初期の「アイウエオ」は以下のように記載されていたようです。
現在と違うところを見つけてみるとヤ行とワ行に見つけることができます。
現在使われているヤ行は「ヤイユエヨ」であり「イ」と「エ」がア行と同じものになっています。
この時のヤ行はすべての文字がア行とは異なったたものとなっています。
現在では見たこともないような文字がヤ行の「イ」「エ」に使われています。
ワ行については現在では「ワ」「ヲ」以外の文字はすべてア行と同じ「イウエ」を使用しています。
ここで使われている「ヰ」「于」「ヱ」は最近までお目にかかることができたものではないでしょうか。
現在ではア行と同じ文字が使われているものについては省略されて書かれないことも多くなっています。
五十音表とはいっても「ン」を数えれば五十一音です。
現在ではア行と同じ文字を除けば四十六音となっているわけです。
ひらがなは情緒的な美しさや見た目を大事にしてきたために音との関係についてはあまり気にされてきませんでした。
「やまとことば」が持っている音をどのように表現するのかはひたすらカタカナにおいて研究がすすめられていたと思われます。
そこには悉曇学や漢学も大いに参考されながら、日本語の音を整理したものが五十音となっていったようです。
音が先にあったのか、五十音(古くは五音)があったから音を埋めたのかはよく分からないことです。
特に音の出し方については五音五位を代表として喉舌脣牙歯による区分など悉曇学や漢学に大きな影響を受けています。
国学が盛んになったころには日本語の音韻についての研究も盛んに行なわれていますが、その基本は平安期から続く悉曇学へと遡るようです。
ヤ行やワ行の馴染みのない文字は文字こそ異なるものの平安期よりずっと存在しているものです。
研究者によっては現代の音数に近く、ア行の音で代用しているものもあります。
古くは日本語の音にはヤ行の「イ」「エ」とワ行の「ヲ」についてはア行の「イエオ」とは違っていたとするものも多く存在しています。
自分たちの持っていた音を漢語の持っていた音を借りながら整理していったのが現代に残った「アイウエオ」だと思われます。
その整理の仕方のほとんどは悉曇学によって教わったものということができるのではないでしょうか。
今となっては、すべての音が先にあったのか一部は五音が先にできたのかは分かりませんが、この系統だった五十音は日本語独自の世界を作り出したものではないでしょうか。
やがて言文一致が求められるようになると表記文字としてのひらがなの音がカタカナと同化してきます。
ひらがな表記に対してカタカナで実際の読み方をふりがなするようなことがなくなっていきます。
明治期の教科書は学問としての国語においてはカタカナを使用していました。
精度が求められることについてはひらがなよりもカタカナが使用されてきたことは電報を見たらわかるのではないでしょうか。
ひらがなによるかな電報が見られるようになったのはそれほど古いことではないですよね。
漢字も使えるようになって漢字かな電報と同じようなタイミングではなかったでしょうか。
カタカナで論理性や正確さを追い求めながらも、ひらがなで情緒性や芸術性を追い求めていったと考えると二つの仮名があったことによる日本文化への貢献がとても大きなものに思えてきます。
最終的に言語の感覚として身につくものはひらがなによる表現であることはなんとなくわかるような気がします。
アルファベットも漢字もみんな仮の姿なんですね。
ひらがなの感覚として理解できるためにカタカナによる置き換えが行なわれていったのではないでしょうか。
明治初期は日本にない文化を大量に取り込まなければいけない時期でした。
そのためには、直接ひらがなで行なってしまっては消化不良を起こしてしまったと思われます。
そのために大活躍をしたのが漢字でありカタカナだったのではないでしょうか。
現代においてもアルファベットや漢字をたくさん使う人はどうしても感覚的に薄っぺらく見えてしまうのはそんなところからきているのかもしれません。
本当に理解している人はわかり易いひらがな言葉で伝えてくれます。
その言葉を知っていることだけに重きがいってしまっているように思えてしまいます。
仮名と言った時にひらがなを指すようになったころから独自の感覚が戻ってきたのではないでしょうか。
「やまとことば」の感覚はひらがなに残って受け継がれているのでしょうね。
日本の持っている独自性を発揮するためにはひらがなによる表現を使うことが手っ取り早いようですね。