昨日、8月6日は原爆投下の記念日であり恒例の「平和宣言」が行なわれました。
とくに真夏のこの時期において、戦争について考える機会を与えてくれる時期となっています。
この時期になるとどうしても思い出すことがあります。
それは、第二次世界大戦後の世界平和の維持を目的に設立された国連においてのことです。
見方はいろいろあると思いますが、国連の設立当初の実態は戦勝国による戦後処理のための国際機関と言えるのではないでしょうか。
その国連において、現在公用語となっている言語は英語、フランス語、ロシア語、中国語、スペイン語、アラビア語の6か国語となっています。
設立当時に最初から定められていた公用語は、アラビア語を除く5か国語でした。
国連の成り立ちを考えた時に一つだけ毛色の違う国の言葉が公用語となっているのです。
スペインは第二次世界大戦には参戦していないのです。
戦勝国の連合国に参加していない国だったのです。
世界におけるスペイン語を公用語とする国が多いこともその理由の一つだと思われますが、それだけではない大きな理由があります。
その理由については、参照のブログを読んでいただきたいと思いますが、そこには大きなヒントがあるのではないかと思っています。
(参照:戦勝国ではないスペイン語が国連公用語のわけ)
ラテン語から派生したアルファベットを使用する言語には、文化歴史的に基本的な共通性があります。
それは、自然や人間についての基本的な考え方に通じるものでもあります。
同じ言語を使用することによって、考え方や物事をとらえる感覚が似たようなものになってくるのは言語が知的活動のための基本的な懸感覚を持っているからにほかなりません。
同じアルファベット言語であっても英語とスペイン語では基本的な感覚が異なっており、それを使用する人の知的活動にも影響を与えています。
英語の主語+動詞を軸とした厳格な語順に比べると、スペイン語の語順についてはかなり自由度があります。
基本的な語順は英語と同様なのですが、日常的な会話においてはかなり自由に語順が入れ替わります。
更に、スペイン語の動詞の変化については主語によって英語よりも多くの変化パターンを持っています。
そのために、主語が省略されても動詞の型を見れば容易に主語を想定することが可能となっています。
日本語のほどではないにしても、日常会話においては主語が省略されることが多い言語となっています。
使用している文字や言葉こそ異なっていますが、言語の持っている基本的な感覚としては日本語とスペイン語は英語よりもかなり近いものがあると思われます。
英語は典型的な目標志向型の言語であることに対して、日本語とスペイン語は状況対応型の言語ということができるのではないでしょうか。
(参照:気質と言語と社会、目標志向と状況対応 など)
第二次大戦後の世界は、目標志向型の社会と感覚が作り上げてきたものということができます。
それは、分かりやすい目標設定と論理によって、あらゆるところで人を中心とした発展に貢献してきました。
その中での状況対応型の役割は、ゆるさや曖昧さと共にゆとりやゆらぎとしての癒しの分野ではなかったでしょうか。
いまや、この分野が大きく広がってきていることは誰しもが感じていることだと思います。
第二次大戦のときにスペインがおこなった活動は、日本人にとっては非常にわかり易いものであり無条件に共感できるものです。
国際的な紛争の解決手段としての武力の行使を放棄した日本にとって、具体的な活動として示唆に富んだものとなっているのではないでしょうか。
何十年かかっても完成しないガウディの設計やスペインの文化は、初めて触れる日本人にとってもわかり易いものであり感覚的に共感できるものが多くあります。
全てのことを経済的な価値に置き換えることは比較対象のためにはとてもわかり易いことかもしれません。
しかし、そのために他の判断基準を否定してしまっていることもあるのではないでしょうか。
日本語を知ることは様々な文化を知ることでもあります。
他の文化の影響や侵略がきわめて少なかった日本語は、多くの独特の特徴を持った言語となっています。
しかし、それを理解するためには他の言語や文化についても知らないと理解できないことでもあります。
日常的に使っている言語は、知的活動を始めあらゆる活動に影響を落としています。
世界の共通語として確固たる足場を築いている英語は勿論ですが、スペイン語との比較においても興味深いものが見つかっていくものと思います。
思考を初めとする知的活動の原動力としての言語について、改めて考えることができる機会かもしれないですね。
過去の史料に触れたり、話を聞いたりする機会があると思います。
そこで使われている日本語にも注意を払ってみたいですね。