2015年8月27日木曜日

原始日本語はなぜ残ったか?

日本語の起源を研究して発表した人に言語学者の大野晋先生がいます。

「日本語の起源」(岩波新書)と題して書かれた言語学の本には、今までの通説をひるがえしてとても興味深い新説を展開しています。

断片的に集められた資料による学者らしい考察は、それまでの中国や朝鮮半島を経由した文明によって言語がもたらせたとする通説に対して一石を投じるものとなっています。


しかしながら、どちらにしても検証するための事実があまりにも少ないために、日本語の起源については永遠に解明されないテーマとして扱われているものとなっています。

それだけに様々な切り口から様々な説が生まれてくることを妨げないものともなっていると思われます。

文字のない時代の言葉の起源をたどることは、記録のない中での想像力を働かせることでもあり、決定的な事実でも発見されない限りにおいては学問というよりはロマンとして扱った方がより親しみやすいのではないかと思われます。


世界最古の文明と呼ばれる四大文明がそれぞれの文明において文字を持っていたことは広く知られていることです。

メソポタミア文明(楔形文字)、インダス文明(インダス文字)、エジプト文明(ヒエログリフ)、中国文明(甲骨文字)はおよそ紀元前3000年ころよりのものとされています。

新しい発見によって時代の設定が見直されていることは、黄河文明→中国文明などの変遷を見れば分かりやすいのではないでしょうか。


日本語が文字によって表記されだしたのが漢語が日本に伝わって以降になります。

定説としては「古事記」を拠り所として8世紀前には漢語で日本語を表記することがおこなわれていたと思われます。

音としての言葉しか持たなかった原始日本語が、漢語によって表記する方法を得たということではないでしょうか。


漢語は音と文字を伴ってやってきました。

更に書きものとしての知識や技術をもって圧倒的な文明を表現するものとしてやってきました。

自然の流れで行けば、漢語がそのまま原始日本語に置き換わっていかなければならなかったはずです。

音しかないはるかに文化度の低い言語を、文字を持った高度な文明の言語が駆逐するのは簡単なことであったと思われます。


そのようにして広がっていったのが現代文明を支えている言語の広がり方でした。

それにもかかわらず、音としての原始日本語が日本語として残り、より文明度の高い言語である漢語を利用して原始日本語を表記するための文字を生み出していくことになるのです。

よほど広く深く音としての原始日本語が浸透していたとしか考えることができないのです。

また、原始日本語と漢語との互換性がとても悪かったということもあるのではないでしょうか。


それは特に音としての互換性において決定的なものがあったとしか考えることができないものだと思われます。

そこにあったのは、今の音で言えば訓読みとしての原始日本語であり音読みとしての漢語ではなかったかと思われます。


「古事記」や「日本書紀」は、原始日本語を漢語の音を借りて充て字として利用して表記したものとなっていますが、そこには音読みの充て字と訓読みの充て字があることが分かっています。

もちろん音読みの充て字の方が圧倒的に多いのですが、訓読みとして読まなければ理解できない部分もあることが分かってきています。

ひらがなが生み出される前のことになります。


当事の世界最高度の文明が中国文明でありその言語が漢語であったわけですから、原始日本語では理解できないものがたくさんあったと思われます。

語彙にしても原始日本語と比べたら無限ともいえるほど多かったのではなかったのでしょうか。

地理や地形的に離れているとはいえ、遣唐使や遣隋使を考えれば人の交流もそれなりにあったと思われます。

母語として漢語を使うことができる人たちも日本にいたと思われます。


しかも、はるかに高度な文化を持っているわけですからかなり指導的な立場にいたであろうことは想像に難くないと思います。

権力があったとすればこれを利用しないわけがありません。

そして権力を持った者たちの専用言語として漢語が広がっていくのが自然な姿ではないでしょうか。


これほどすごい歴史と文化や技術のある言語に触れながら、音しかない言語がなぜ駆逐されなかったのでしょうか。

その後でも大量の帰化人を抱えることになります。

彼らの母語は漢語です。

なぜ漢語は原始日本語にとってかわらなかったのでしょうか。


力を持って駆逐することもできたはずです。

圧倒的な文化や技術の違いは力を持って影響力を広げることも可能だったはずです。

力ある者は必ずこれを利用したはずです。


その証は勅撰集を見てもわかるのではないでしょうか。

初期の勅撰集は漢詩集です。

「凌雲集」、「文華秀麗集」、「経国集」が代表ですが、その後も準勅撰集としても編纂されています。

実際の歴史の中にこのような場面を見て取ることも可能だと思いますが、それでも漢語は広がらなかったのです。

一般にも知られているように勅撰集と言えば「古今和歌集」を筆頭に和歌集として残されているものの方がはるかに多くなっています。


記紀の後に編纂されたとされている「万葉集」は現在では勅撰集とはされていませんが、原始日本語の歌に対して漢語の音を借りて表記したものです。

漢語が導入された時点においても、歌としての原始日本語の音は広く定着していたものとして考えることができるものです。


音しかなかった原始日本語とより高度の文字文明を持った漢語との戦いは、原始日本語に軍配が上がったのです。

しかも、その漢語を利用して音しかなかった原始日本語を表記するための仮名文字を生み出してしまったのです。

圧倒的な力の差ではないでしょうか。


原始日本語のことを「古代やまとことば」と呼ぶことがあります。

漢字で書くよりもより実態を表しているからだと思います。

言葉としても「古代やまとことば」の方が馴染みやすいのではないでしょうか。


より高度な文明と技術によって作り上げられた文字を持った言語を、音しかない言語が追いやってしまったのです。

しかもその文字を使って新たな音の表記方法を創り出してしまったのです。

この「古代やまとことば」はいったいどんな言語だったのでしょうか。


現代日本語のひらがな言葉として残っている多くの言葉はその「古代やまとことば」を伝承しているものです。

単なる言語としての役割以上の何かを感じないわけにはいかないのではないでしょうか。

世界でも他に類を見ない不思議な言語です。


カタカナは漢語の一部を利用した文字だと言われています。

しかし、「キ」「シ」「ヘ」「ワ」「ン」などについては漢字由来ではうまく説明がつかない文字となっています。

漢語を「古代やまとことば」として読むために利用されたとされるカタカナはひらがなよりも先に作られていたとする説もあります。

そこには漢語に由来しない何かがあったとするものもあります。


漢語に対抗できる何らかの文字がなければ、漢語を追いやることができなかったと考えることは必然のような気もします。

文字を構成する要素を考えた時に、カタカナはより古代の文字たちと近しく見えてくるのは先入観でしょうか。


とても謎の多い日本語ですが、意識せずに使っていると全く気付かずにすぎてしまいます。

母語として持っている言語は、使用している人において強大な影響力を持っています。

世界でも特殊な言語である日本語は、世界でも特殊な日本民族を作っている大きな要因です。

自分を知るためにも、もう少し日本語について知っておきたいところですね。






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