2015年8月11日火曜日

日本語を学ぶと見えてくるもの

何かを学ぼうするときに、そのアプローチには二つの方法があると思われます。

一つは、学ぼうするテーマや課題を具体的に定めてそのテーマに対して深く深く探求していく方法です。

到達したい目標を具体的に決めてそこに向かってひたすら掘り下げていく方法ですね。

目標志向型ということができるのではないでしょうか。
(参照:目標志向と状況対応


もう一つは、テーマや課題は比較的抽象的なものになりますが、関連する分野や学際的な部分にも積極的にアプローチしながら広く柔軟なテーマを状況に応じて取り上げていく方法です。

学びたいことに対して比較する対象がいろいろな分野から出てきますので、その中で学びたい対象の特徴や傾向が自然と際立ってくることになります。

比較対象にしても状況に応じて比較的自由に撰ぶことができるために、状況対応型ということができると思われます。
(参照:状況対応型を意識してみよう


私の日本語についての研究は、明確な目標や具体的な対象があって始めたものではありません。

曲つくりのなかで歌詞について興味を持ち出したのが始まりになります。

同じような歌詞の内容であっても、表現されている言葉によって感情に対して訴えてくる強さの違いに関心を持ったからです。

そこで行きついたのが、日本語の原点としての「やまとことば」でした。


「やまとことば」の定義は、分野や対象によって千差万別です。

国語辞典的に表現することは出来たとしても、万人が納得するようなものにはならないと思われます。

言い方を変えれば、一人ひとりにとっての「やまとことば」があってもいいのではないかということになります。


初めは「やまとことば」とは?的な学びになりますが、そのうち自分なりの勝手な定義が出来上がりはじめると、関連する様々なことに興味が向いていきます。

そこには、歴史、言語学、文学、心理学、地学、気象学、など数えきれないほどの分野にわたっていくことになります。

学者や専門分野の研究者とは異なりますので、学際を飛び越えることはとても簡単に自由にできます。

学術論文を書くわけではないので、既存の学説や通念に影響をされることもありません。

興味の赴くままに、思いつくままにどんな分野でも結び付けて考察することができるのです。


好き勝手に比較する対象を選べるわけですから、興味も尽きることがありませんし常に好奇心を持って取り組むことができることになります。

「ねばならない」ではなく「でもいいじゃないか」ですので論理も思いつきも好き勝手です。

そうでなければ元来飽きっぽい私が15年以上もこんなことを続けていられるわけがないのです。


それでも、思いつきや論理を確認したいことも出てきますので、そのためにはブログが大変役に立つことになります。

時には、専門家からのキツイご指摘をいただきながら、あるいは想定もしていない神主さんからの暖かい賛同をいただきながら確認をしているところです。


日本語だけではないと思いますが、どんなことでも学びを続けていくと最後は「ひと」についての考察に行き着くのではないでしょうか。

その中でも言語は、「ひと」を形成しているとても大きな要素です。

言語が持っている感覚や特徴は、その言語を使用している人の知的活動や日々の態度に現れてきます。

人の性格や思考や活動の傾向に大きな影響を与えているのが言語であることが分かってきます。


そこには専門分野も固定的な定義もありません。

人が「ひと」としてあるために欠かすことができないものが言語であり、また言語が「ひと」としての重要な部分を形成していくものであると思われます。

更に「ひと」としての大切な部分を継承し続けていくのが言語ではないでしょうか。


その言語の中でも、日本語はきわめて独特な言語であることが見えてくるようになるとますます面白くなってきます。

そうなると、この日本語が一体どうやって出来上がってきたものであるのか、どんな環境で言語化してきたものであるのかに興味が行くのは当然の結果だったのでしょう。

現存する世界の言語のなかで、漢字という共通文字はあるもののその分類としては孤児として扱われる日本語は、知れば知るほど特殊な言語です。

言語の特殊性は、その言語を使用する人において具現化されます。

世界から見た時の日本人の特徴は、まさしくこれをとらえたものに他なりません。


日本語を学ぶことは、日本人を学ぶことであり世界における日本の特徴を学ぶことにつながっていたのです。

特殊性は、その対象だけを見ていたのでは分かりません。

さまざまな周りの環境と比べた時に初めて特徴として浮かび上がってくることになるものです。

その意味では、日本語そのものが状況対応型であることがよく分かってきます。


幸いにして、日本語は世界では全く通用しない言語です。

世界との接点においては役に立たない言語と言ってもいいでしょう。

世界の共通語は英語です。

個人においても英語との接触を一切立った生活は考えられなくなっています。

日常生活においても英語を無視して生活することは出来なくなっています。


そこでは日々、日本語と英語との接点があります。

比較対象としての英語は日本語の特徴を浮き上がらせてくれるものです。

日本語の持っている特徴とは正反対の特徴をたくさん持った言語だからです。


日本語を状況対応型的に学んできたことによって、いろいろなことが見えてきました。

まだまだ興味は尽きることがなさそうです。



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