7月20日に鶴見俊輔さんが亡くなられました。
そうはいっても私も全く知らなかった人です。
ところが、亡くなって以降にいろいろなメディアで思った以上に取り上げられているので気になっていました。
鶴見俊輔さんが紹介されるときに必ず出てくる言葉に「べ平連」があります。
私の記憶の中にも残っている言葉です。
改めて調べてみると「ベトナムに平和を!市民連合」(旧「ベトナムに平和を!市民文化団体連合」)のことでした。
すさまじいまでのその経歴と著作は多くの紹介記事がありますので見ておいてほしいところではあります。
60年代においても市民が自由意思で簡単に参加することができ、「声なき声の会」として日米安全保障条約の改定に反対の市民の立場からの市民運動を指導した人です。
この「声なき声の会」が母体となって「ベトナムに平和を!市民連合」ができていきます。
そんな彼のエピソードを紹介していた番組を見た時に「くに」と「国」を使い分けしていたことを知りました。
あらためて日本語の持っている奥深さと、それをうまく利用することの効果を感じることができました。
やはり、漢字は本来の日本語の持っている感覚とは微妙なズレを持っているようです。
鶴見俊輔は、何にもとらわれない純粋な市民が生活する環境を「くに」と言い、国家や政治などの権力というものが見える環境を国と言っていたようです。
「くに」の方がより優位であり大きな概念として捉えられており、国は「くに」のために活動するための権力を与えられたものとして定義されているようです。
考えてみれば当たり前のことを言っているのですが、様々な数奇ともいえる経験をしながら世界でも有数の思想家となった人がおこなっていたことだと思うとさらに深い意味があるように思えるものです。
国の間違えた活動をストップさせるのもは「くに」にしかできない活動になります。
「くに」が声すらを挙げなければ国は権力として好き勝手な方向へ向かうことになります。
実際に国を運営している者のほとんどは、「くに」を軽視した権力の亡者たちであり、社会においていちばん「くに」から遠い存在となっています。
彼らを常に監視し緊張感を持たせる活動は怠るわけにはいかないのです。
行政府と立法府が国としての活動が中心となってしまっている現在の日本においては、司法において唯一「くに」を反映することしかないのでしょうか。
そのように思っていた時に触れた鶴見俊輔の活動でした。
名簿もなく無党派の反戦活動であり「来るものは拒まず、去る者は追わず」という自由意思での参加が原則のものでした。
一面では「いいかげん」との批判をされたその運動は、その自由な雰囲気から左翼のみならず右翼団体や労働団体学生や主婦までを巻き込んだ、職業や社会的地位、保革などの政治的主張を問わず、多くの参加者を呼び寄せる事になりました。
やがては運営側が方向性と主義主張を定めてしまったために、連合赤軍や左翼学生のための通過点となっていってしまって国と同じことになってしまいます。
「くに」として始まった活動が国と同じ活動になってしまったことによって、もはや市民運動ではなくなってしまったのです。
日本人が基本的なことを考えたり行なったりするときには、ひらがなで考え表現することが大切ではないかということを改めて確認させられた内容でした。
「現代やまとことば」はもっと実用的なものなのかもしれません。
(参照:「現代やまとことば」の効能)
自分たちが持っている言語の感覚と違ったものをあまりにもたくさん取り込んでしまったのが日本ではないでしょうか。
そこにはそれらの外国語の感覚をそれらしく置き換えることができてしまった、日本語のチカラによるものでもあります。
また、その日本語のチカラを生かした先人たちの能力によるところも大きいのではないでしょうか。
追いつけ追い越せで取り込んできた外国の言語感覚は、表面的には理解できても感覚に違うもの同士はどこかで矛盾を含んでします。
戦後70年を迎えて、現実化している矛盾が目立ってきました。
もう一度本来の日本語で考えてみることが必要になってきているのではないでしょうか。
借り物の論理ではなく、日本語の持っている基本的な感覚でとらえなおしてみるいい機会だと思います。
あらためて日本語を見直すいい機会でもあります。
暑い夏の都会を逃れて、涼しい避暑地でのんびりと考えるのにはちょうどいいテーマではないでしょうか。
難しいことをやってもなかなか頭が働かない季節です。
わかり易い日本語で考えたいですね。