2015年7月2日木曜日

目標を立てるということ

もうすぐ夏休みになりますね。

小学校の頃は、夏休みそのものは待ち遠しかったのですが、夏休みの前に計画を立てさせられることが大嫌いでした。


基本的な性格がクソ真面目でありながらいい加減というものですので、何をやっても長続きしません。

計画を立てる時には、クソ真面目に完璧な計画にしようとしますので遊びがありません。

実行できるかどうかを考えずに計画としてのみの美しさを求めますますので、実行できるわけがないのです。


毎年、計画を立てさせられるので、少しは現実的なものにすればいいのにできないのですね。

その結果、夏休みに入って数日で計画は実現不可能なものになりますね。

修正する意欲もありませんので、計画はなかったものと同じことになります。


宿題や絵日記、天気の記録も毎日コツコツとやる計画なのですが、結局8月末に親に怒られながら仕方なくやっていました。

そんなことが重なっていくと、計画を立ててそれを達成することに喜びを感じなくなります。

目標を立てて、そこに具体的なステップを設定して達成していくということに対して「嫌い」「不快」という感覚を持つようになります。


何かをやり遂げようとするときも目標は立てずにいきなりそれをやることになります。

それでできれば良しですし、ダメならばダメで仕方がないとなるのです。

目標に対しての執着心がありません。


教育の中でも指導されたことの中でも、目標の達成の仕方は一つしかありませんでした。

そのために、それができない自分は欠落者であり成功者にはなれないものだと決めていました。

目の前の目標をしっかり立てることに集中してしまい、実行するための計画とはならなくなっているのです。

目標は達成するべきものではなく、お題目として美しくなければならないと思ってしまうのです。


また、身近な具体的なことを目標として設定することにも大きな抵抗があります。

そんな目標ならばわざわざ目標にすることはないと思ってしまうのです。

日々の活動のなかでいつでもできると思ってしまうのです。

結果として、目標を立てることがとても苦手になってしまっているのです。


したがって、何かを計画通りにやり遂げたという経験がほとんどありません、それよりも挫折して諦めた経験の方がはるかに多いのです。

計画を立てること自体が、既に挫折の予備段階なのです。

社会人としての決定的な能力に欠けていると思っていました。


世の中のすべてが、明確な目標を持ちそれを達成することで成り立っていると思っていたのです。

その目標を達成することが社会で求められている能力だと思っていたのです。

この能力に欠ける者は、社会の競争においては勝ち抜いていけないと思っていました。


ところが、おなじような経験をして同じような感覚を持っている人がとてもたくさんいることに気がつきました。

よく見てみると、目標設定とそこに対する達成感を味わっている人がほんの少ししかいないことが分かりました。

ほとんどの人が、できないことに対してやらなければいけないという義務感でこなしていることが分かったのです。


やりたくもない、嫌なことを無理にやるのですから、モチベーションが大事になります。

好きなことをやるのにモチベーションは必要ありません。

勝手にやりたくなるものです。

やりたくないことを無理にやらなければいけないから、モチベーションが必要になるのです。


計画や目標を立ててベストの選択肢を用意して達成していくことは、私は嫌いなのです。

だからやる気にならないのです。

現状で起きていることに対して一つひとつ対応して改善していくことの方が好きなのです。

いろんなことに手を付けながら少しでも良くなる方にすることが好きなのです。


明確な目標は要らないのです。

何となくこうなったらいいなあ程度でいいのです。

いつまでにどうなっていなければならないが大嫌いなのです。

いつであろうとやらなければいけないことはやるのです。

しかし、それはいつまでもやらなければいけないことではないのです。


一気に気が楽になりました。

これらのことについて、後から以下のような分類があることを知りました。

人としての基本的な気質としての二種類だそうです。


目標指向型と状況対応型です。

わたしは、典型的な状況対応型だったようです。

世の中のほとんどのことが、目標指向型で運用されています。

気質的にこれに合う人はいいのですが、日本人は状況対応型の方が多いのです。

日本語の性格が状況対応型のものだからです。


本人の持っている気質が目標指向型でない限りは、どこかでストレスを感じることになってしまうのです。

文明先進の欧米型の言語はほとんどが目標指向型です。

アメリカ社会は目標指向型の典型です。

日本の社会もこれを模倣してきました。

その結果、世界で一番うつ病の多い高ストレス社会を生んでしまいました。


このことを知っておくといろいろなことに役に立ちます。

無理なモチベーションは必要ないこともわかります。

モチベーションを必要とすること自体が、自分には合わないことなのだということが分かります。

モチベーションを必要とすること自体がストレスを生んでいることが分かります。


欧米型の論理はわかり易いものですが、日本語の感覚には合わないことだらけです。

それを模倣した社会は、日本語の感覚では生きていくのが難しくなっています。

上手く調整していきたいですね。