日本語的に解釈すると、動機付けをするとかやる気を出すとかといった内容になるのでしょうか。
どんな場面で使われているでしょうか。
やるべき何かがあった時に、効率よく良い結果を出すために活動するための動機づけややる気を出すことが必要だからではないでしょうか。
やるべき何かに対して、自分が大きな価値を置いているものだとしたら、たいしたモチベーションがなくとも効率よく良い結果を出すための行動をしませんか。
言い方を変えれば、やるべき何かが自分の好きなことだったらほとんどモチベーションを必要としないのではないでしょうか。
やらなければいけないがそれをやることが好きでなかったり価値を見いだせないときに、それでもやらなければならないときに必要なのがモチベーションではないでしょうか。
そこは、そのことをやる本来の目的に価値が感じられなかったり活動そのものに嫌気を感じるような場面になります。
企業であり組織であれば、その環境に馴染むために意味の感じられない活動を強要されることも決して少なくありません。
これを拒否することは、怠惰であったり協調性がないと言った評価を受けることとなり結果として不利益を受けることになります。
自分の意思で活動ができない場合にはよく見受けることとなります。
無理にモチベーションを上げることは、言い方を変えればその活動や目的に対して価値を感じていないことになりますので、違う価値を持ったニンジンをぶら下げる必要が出てくるのです。
自力で社会を生き抜いていく力を持てていない者は、誰かに頼って社会を生き抜いていくことしかできません。
そのためには自分の意思に反することであっても、頼る相手のための活動をしなければいけなくなります。
そのためには、モチベーションが必要になるのです。
自力で社会を生き抜いていくことは、あらゆることでの責任と結果がすべて自分に返ってきますので、自分で価値を感じられないものをやっている暇などないのです。
結果として、モチベーションは必要ないことになります。
自分が社会を生き抜いていくために必要な価値を感じていることや、好きなことをやるのにモチベーションは必要ありません。
やっている間にモチベーションが高まってくることはあるかもしれませんが、行動を起こし継続してくためのモチベーションは関係ないのです。
モチベーションを必要とすることなどそもそもやる必要がないからです。
自分にとって嫌いなことであったり、価値を感じられないことを無理にやらなければいけないからモチベーションが必要になるのです。
モチベーションが必要なことは、やらなくてもいい事のはずなのです。
そこでの判断基準は、自力で社会生き抜いていくことです。
そのために必要なことは自分にとって大きな価値のあることですので、モチベーションがどうのこうのという対象ではありません。
それ以前に黙って始めて修正を繰り返しているのです。
自力で社会を生き抜いていこうとする活動そのものにも、モチベーションは必要ありません。
それができなければ自力で社会を生き抜いていくことができなくなるだけだということが分かっていますし、できなければ誰かに頼らなければいけなくなることが分かっているのです。
やらなければいけないことではなくなっているのです。
感覚的には自分で選択してで自力で社会を生き抜いていきたいのですから、好きなことをやるのと同じ感覚ということができます。
好きなことをやるのにモチベーションは必要でしょうか。
やっているうちにどんどん高まっていくモチベーションが後からついてくることはあるかもしれませんが、取り掛かるためのモチベーションは全く必要がないことになります。
だから続けていけることになりますし、常に修正をしていけることになるのです。
モチベーションを必要とするから、ストレスがたまることになります。
やりたくないことに対して、本来の目的と違ったニンジンをぶら下げる必要が出てくるのです。
自力で社会を生きていこうとすると、そのことに向けての活動自体がが好きになります。
自然と余分なことや不必要なことはやらなくなるのです。
アウトプットして修正して狙った結果を手に入れことが好きになるのです。
そのための活動は好きな活動になりますので、モチベーションなど必要なくなるのです。
モチベーションを作らなければいけない活動はしなくてもいいことを教えてくれているのです。
もちろん、人は完全に一人では生きていくことができません。
自力で社会で行くための重要な部分を人に頼らないようにしていくだけのことです。
好きなことをしていくのにモチベーションは必要ありませんものね。