2015年6月7日日曜日

国語のための言語

国語が日本語の共通語としての役割を持ち、義務教育における知識やルールを習得するための学習言語であることは何度か触れてきました。
(参照:国語の役割

しかも、自分勝手な解釈や表現では役に立たないこれらのことについては、国語で理解し国語で表現することによって共通の知識やルールとして初めて使えるものとなります。

そのためにも国語のというものはあらゆることについて、基本となる言語です。


外国語では国語という概念がありません。

普段の社会性辰で使っている言語である生活語と区別された言語がありません。

国語という言葉もありません。

教科においても英語となっているだけで、国語科と呼ぶこともありません。


英語を公用語として使用して国は数多くありますし、英語同士でもニュアンスの異なる表現はたくさんあります。

アメリカ英語、イギリス英語、カナダ英語、オーストラリア英語などでは、細かなニュアンスはかなり異なっており、意味の通じないことさえあります。

それぞれの国においても国語という概念はなく、教科としての呼び方も英語となっています。


恐らくは、それぞれの国における生活語としての英語がある程度限られたものとなっているからではないでしょうか。

そのために言語として持っている幅が狭くなっており、あえて共通語を定める必要がないものとなっていると思われます。

一般的な生活語として持っている表現のなかで、誤解を生まない程度のルール化ができているものと考えることができます。


日本語は、語彙の豊富さや文法的な表現の自由さによってとても誤解を生みやすいものとなっています。

むしろ、他の言語と比べたときには、発信者の意図を正確に伝えるには向かない言語といった方がいいかもしれません。

そのために日本語を母語として持っている者同士でも、意思の伝達には誤解を生む要素がたくさん含まれています。

あまりも多くの語彙と文法の自由さは、一つの表現であっても様々な解釈が可能な表現をたくさん持っていることになります。


そのために、日本語においては日本語の共通語として国語を必要としているのです。

共通するルールや知識については、国語で理解し国語で表現しないと誤解を生む可能性が高いことになります。


それでも社会生活においては、国語以外の言語が多くなります。

または、国語と同じ表現であっても解釈の異なるものがたくさん存在します。

表現としては国語のルールに則って行なわれいるにもかかわらず、解釈としては国語と異なるものもたくさんあります。

国語を理解しておかないと、そのバリエーションについていけないことになります。


国語を国語としてだけ身につけたのでは、国語としての違いや意味合いが分かりません。

国語とは異なる生活語や他の日本語と比較して初めて国語が意味を持つ者となります。

国語を学習し始めるのは、小学校である義務教育になってからです。


したがって、国語を国語として理解するためには、国語以外の日本語を含めてある程度の日本語を持っておく必要があります。

いわゆるプレ国語としての言語が豊富であるほど、国語との比較が容易であり国語としての理解がしやすいことになります。

しかし、プレ国語が日常使用言語として刷り込まれてしまってからでは、国語を使いこなすことは難しくなってしまいます。


その微妙な時期が小学校の低学年にあたるのではないでしょうか。

記憶の保持期間やしっかりとした思考力が出来上がっていないこの時期には、どんなにたくさんの言語に出会っても感覚としての理解が中心になります。

一気に記憶の保持期間が伸びていくこの時期は、次の思考の発達に向けての使える道具としての言語を蓄える時期になります。


ここで、思考の基本となる国語による言語を身につけることによって、これから先の国語によるさまざまな知識の習得やルールの習得、決められたパターンによる思考などが理解できていくようになると思われます。

国語を理解するために、多くの言語の触れておくことはとても大きな意味を持つことになります。

プレ国語の時期に多くの言語に触れたところで、刷り込まれることはありません。

幼児期に英語を教わっても、日常基本言語が日本語である限りする込まれることがなく日常言語になることがないのと同じことです。


母語の形成期においては、脳を初めとする知的活動器官のすべてがその言語をもっとも理解しやすく使いやすくするために発達していきますので、他の言語(ネイティブ)との接触は避けるべきでしょう。

4歳頃には、幼児期としての母語の形成はほぼ完了しており、母語を利用しての数多くの言語経験が必要な時期となっています。

その時期から国語の習得が始まるまでの間に、できるだけ多くの環境において方言や世代の離れた言語などに触れておくことが望まれます。


祖父母との同居や地域社会での豊富な交流が役立つ時期でもあります。

感覚として言語と親しんでいる時期と言ったらいいのかもしれません。


国語によって知識やルールの習得を行なっていくのですが、世の中にあふれている言語は国語よりも生活語の方がはるかに多くなっています。

書物については、国語では理解できないものもたくさんあります。

国語を習得する他ための絵本はさておき、小学校の中学年くらいになるといろいろな分野に興味を持ち読書が増えてきます。

学校においても積極的な読書を奨励してきます。


物語系では、国語では理解できない表現にたくさん出会いますが、会話文によって理解を補うことができます。

会話文は、日常生活語が主に使われていることになります。

国語を理解しながらも、生活語による理解も必要になってくることになります。


小学校の中学年になると、思考することができるようになってきます。

与えられたものを暗記するだけでなく、自分で考えて理解することや疑問を見つけることができるようになるのです。

他の言語と比べた時の国語を国語として理解できるようになります。


ここから一気に大量の知識の習得が行なわれるようになります。

いわゆる、ゴールデンエイジになっていくことになります。

ゴールデンエイジに向けた準備については、何をしたらいいのかいまだによく分かっていません。


しかし、記憶保持間が大きく伸びる時期であり思考ができるようになる時期であることから、そのためのツールである言語に対してのさまざま経験をしておくことは大きな助力となるはずです。

物心がつくと言われる時期になります。

この時期に習得出来た知識や技術がこれ以降の基本になることは間違いがありません。

その最大のツールが国語であることも間違いがないでしょう。


この時期に国語を使いこなして行う知的活動が、その後の知的活動の基本になります。

国語の前の言語としてのプレ国語にもっと注目していいのかもしれませんね。