2015年6月14日日曜日

占いと言語

今まで色々な角度で説明しようと思っていた日本語の持っている独特な感覚について、状況判断型という言葉を見つけたことをお知らせしました。
(参照:日本語感覚の基本は状況対応型

動物占いから見つけた言葉ですが、対応する感覚として目標指向型が示されていました。


状況判断型という言葉だけでは理解しにくい感覚だとは思いますが、対比としての目標指向型を理解することでかなりの部分が解消されるのではないでしょうか。

それは、私たちが受けてきた教育や躾のほとんどが目標指向型であり、目標指向型として行動するように教え込まれてきたことによって理解しやすいものとなっているからです。


参照を見ていただければわかりますが、もう一度動物占いにおける説明をつけておきます。
●目標指向型:
 何事も本音と建前がハッキリしていて、人間関係は「本音」を言う所から始まります。
 ただし、どうでもいい人には本音は言いません。

●状況対応型:
 本音と建前の境界線が曖昧で、なかなか本音が言えません。
 人間関係は「建前」から始まりますが、その人間関係が終わる時に「本音」が出ます。
 ただし、どうでもいい人には、本音から話すときがあります。

目標指向型は、まず目標を決めて、何が何でもその目標を達成するために頑張るタイプ。
逆に言うと、目標がなければ頑張れないタイプです。

状況対応型は、大きな方向性だけ決めれば、臨機応変に対応しながら、より良いものを
つくっていこうとするタイプ。


わたしは、決して盲目的に占いを信奉するものではありませんが、自己の傾向を知りたいときや理解しにくい人を理解しようとしたりするときには頼ることもあります。

その中でもなるほどなと納得感のあるものに四柱推命がありますが、風水とも関係があり実際にはとても複雑なものです。

その基本は、生年月日時間によって持って生まれた気質があると言うものですが、簡略化されて動物占いや気質学として身近になっているものもあります。


以前の私は、生年月日時間による分類や傾向を一切受け入れませんでした。

全く同じタイミングで生まれた者は全く同じ要素を持っているのでしょうか。

そんなことがあるはずがありません。

分類としてどちらかに分けてしまわないと、複雑になり過ぎるから単純化するために簿妙な違いが無視されることになります。


単純化することは共通する類型化によって分類することに他なりません。

そこには典型的なものから微妙なものかでが一緒に扱われてしまうが危険性が常について回ります。

したがって、絶対的なものではなく、ある種の傾向を示しているものと考えると気楽に扱うことができるようになります。


そのようにして見るようにしてみると、占いに対してある種の基本的な傾向を示しているものであり、自分が占いに対して求めていたものは明らかに後天的な要素の方が強いことが分かりました。

その後天的な要素の一番強いものが言語であることに気がついたとき、思わず「なるほど」と声に出していました。


帝王切開という出産方法がありますが、あれは帝王となるべくして生まれる子どもに対して帝王としての気質にふさわしいに日や時間に生むために行われた出産の調整であることを知りました。

過去においては、そこまで生まれた日や時間について影響が大きいと考えられていたのだと思いました。

現在では、後天的に自分や環境で変えることができることが多くなってきているということなのでしょう。


自分の基本的な傾向を知ろうとしたときに参考になるものが、四柱推命を基本にした占いと日本語の持っている基本的な感覚であると気がついたのはつい最近のことです。

それまでは、占い(わかり易いのでこう呼んでいます)と言語が結び付くことはありませんでした。

一種のハイブリッドとして結びついたときに、「なるほど」が生まれたと思われます。


生年月日時間が持っている基本的な傾向に対して、後天的でありながらもいちばん最初でいちばん大きな影響を与えるものが言語(母語)です。

全く同じ日時に生まれた者であっても、身につけた母語によって本人の持っている行動や考え方の傾向が大きく影響されてくることになります。

母語は、母親から伝承される独自の言語ですで、同じ日本語であったとしても母語としてはすべての人が異なる言語を持っていることになります。


もちろん英語や日本語といった大きな分類からすれば微妙な違いにしか過ぎませんが、それは占いにおける分類と同じような感覚と言えるでしょう。

同じ分類に属しはするものの、一人ひとりにとっては全く違ったものであることです。

ただし、その分類におけるある種の傾向は大小にかかわらず持っているという程度のことではないでしょうか。


冒頭に、日本語の持っている基本的な感覚として状況対応型であると書きました。

本人の気質としての傾向が、目標指向型であったとしても言語環境は状況対応型になっているのです。

しかも、社会の仕組みが目標指向型になっていますので、教育や躾としては目標指向型の活動を求められるのです。


先進文化圏の言語のほとんどは目標指向型のものです。

そこで作り上げられてきたものが近代文明であり近代教育です。

日本はこれを徹底的に模倣して取り込んできました。


ところが、それらを取り込むための最大のツールである言語が状況対応型のものだったのです。

ツールが持っている基本的な感覚と、取り込もうとする文化や技術が持っている基本的な感覚が正反対になっていたのです。

頼りになるのは、本人が持っている生年月日時間による基本的な傾向です。

これが目標指向型であれば、うまく適応できる可能性があります。


その場合は、日本語の持っている感覚にあまり影響をされてこなかったことが大きな要素になります。

早いうちに海外経験をしていたり、両親が国際結婚であったりした場合には大きなメリットになったことでしょう。

欧米型の論理やメソッドによって経営されていく企業や国際取引に馴染みやすかったことだと思われます。

目指した社会そのものが目標指向型だったのです。


反対に、しっかりとした日本語の感覚に自らの状況対応型の資質が合わさった場合には、目標指向型の行動や考えたかが苦痛以外の何物でもなくなります。

目標を設定し、ベストの計画を策定し、期限通りに達成していく活動そのものがストレスとなります。

社会そのものが目標指向型を目指していましたので、社会生活そのものがストレスのもとでもありました。

日本人の一般社会人におけるうつ病の発生やストレスを感じている者の割合が、先進国のなかで圧倒的に高いのは、このことが大きな原因ではないでしょうか。


社会そのものの方向性が目標指向型から変化しています。

目標指向型だけでは限界にきていることに、いろいろな場面で気がつき始めています。

あらゆることを目標指向型で作り上げてきた社会は簡単には変えることができませんが、日本にはもともと状況対応型の資質が色濃く継承されているのです。

自信を持って、状況対応型の発言や活動をしていくときではないでしょうか。


目標指向型から見ると、曖昧だとか軟弱だとか優柔不断だとか感覚的だとかの批判を受けるのが状況対応型です。

それは、世の中の判断基準が目標指向型の一方からしか見られていなかったかに他なりません。

山に登る道は一つではありません。


近い将来の効率化を考えて一気に登れるケーブルカーを敷く方法もあれば、歩いて登る方法もあります。

そもそも何のために山に登るのかは、明確に設定できることだけではありません。

「そこに山があるから」ということも立派な目的ではないでしょうか。


経済的な価値に置き換えることができることだけが目的ではないのです。

目標指向型と状況対応型では目的に対する感覚すら変わってくることがあります。

状況対応型ではボヤーとした目的でも全く問題がないのです。

目標指向型のように厳格な目的がないと活動そのものができないようなことはないのです。


もちろんそれぞれの役割として得意分野ができることは当たり前のように存在します。

持っている傾向としては反発しますのでやり方としてはぶつかることの方が多くなりますが、そもそもの得意とする分野が異なってきます。

何かを成し遂げようとするときには強力なパートナーとなるはずです。


まだまだ楽しいことがたくさんできそうですね。