2015年6月13日土曜日

日本語感覚の基本は状況対応型

これまでに日本語の持っている感覚についていろいろな表現を使って説明しようとしてきました。

自然とのかかわり方における環境言語であるとか、並列思考型言語であるとか、環境と共生するための環境適応型言語であるとかいった表現のことです。
(参照:日本語は究極の環境言語日本語の基本構造抜群の適応力を持つ日本語 など)

いずれにしても欧米型言語との対比による際立った特徴的な感覚と言えるものですが、面白いところにとても適切な表現を見つけました。


それは動物占いの中に出てきた表現です。

人が持っている基本的な感覚として、目標指向型と状況対応型があるというのです。

以下は、動物占いのページからの引用です。

●目標指向型:
 何事も本音と建前がハッキリしていて、人間関係は「本音」を言う所から始まります。
 ただし、どうでもいい人には本音は言いません。

●状況対応型:
 本音と建前の境界線が曖昧で、なかなか本音が言えません。
 人間関係は「建前」から始まりますが、その人間関係が終わる時に「本音」が出ます。
 ただし、どうでもいい人には、本音から話すときがあります。


目標指向型は、まず目標を決めて、何が何でもその目標を達成するために頑張るタイプ。
逆に言うと、目標がなければ頑張れないタイプです。

状況対応型は、大きな方向性だけ決めれば、臨機応変に対応しながら、より良いものを
つくっていこうとするタイプ。


まさしく、目標指向型は欧米型言語の感覚であり、状況対応型が日本語の感覚にピッタリとあてはまるものになっています。

ただし、どちらにしても100%の完全型ということではなく、より多くどちらの感覚を持っているかということになります。

また、個人としても今までの環境のなかで、どちらの感覚をより強く持っているかということになります。


自分で気がつかないうちは、基本的に持っている感覚の反対の方に羨ましさや憧れを感じることが多く、反対の感覚のように振る舞いたいと思うことが強くなります。

したがって、一見しただけでは目標指向型のように見える場合でもあっても、本人がそのように対応しなければいけないと思い込んでおり、かなりの無理を抱えながら振る舞っていることがよくあります。


これらの型は言語の構図にもよく現れています。

重要なことから順番に目標を明確に表現する欧米型言語(英語を思い浮かべてください)の語順に対して、あらゆる修飾する要素を前に並べて同時に扱う語順となる日本語があります。

それぞれの言語が持っている感覚を表現しやすい構図や語順になっていると言えます。

また、これらの構図や語順が言語としての独特の感覚を作り継承してきているとも言えると思われます。


欧米型言語の感覚による企業経営論やマネジメント論が入ってくる前の日本では、経営においても状況対応型の感覚が中心だったと思われます。

それらが、集団改善活動や日々の業務改善の仕組みとして馴染んでいったのではないでしょうか。


状況対応型は論理化やマニュアル化には向かない感覚となります。

良い言い方をすれば状況に応じて臨機応変に対応することですが、悪い言い方をすればその場しのぎとも言うことができます。


基本的感覚として目標指向型を持っている者から見ると、曖昧さやいい加減さが目立ってしまい持っている論理性から見た感覚性は不快なものとして映ることになります。

欧米型言語の感覚を持った外国人から見た日本人そのものではないでしょうか。

目標指向型は論理的な正しさや効率性という目標を持った場合には圧倒的な威力を発揮して成し遂げようとします。

社会貢献や従業員の満足などという抽象的な目標ではない、具体的な売り上げ数字や予算といったものとの相性は抜群になります。


日本人であっても、育った環境や教育によってはかなり目標指向型に寄っている人もいます。

特に、貧しい環境に育った人の金銭的な儲けに対しての感覚は目標指向型である場合がよくあります。

帝王学の一つとしての目標指向型の教育も存在しており、経済的に余裕がある環境に育った場合にも見受けられることがあります。


貧しい環境であっても両親の愛情によって、本人は金銭的な貧しさをそれほどな感じることなく育った場合には状況対応型に寄っていることが多いようです。

日本語の持っている基本的な感覚は状況対応型になっていますので、よほど厳しい環境で育ったり体験をしてこない限り目標指向型によることは少ないと思われます。


ところが、欧米型言語の感覚を模倣して作り上げられた教育体系そのものが目標指向型になっているのです。

夏休みの前には、必ず計画を立てさせて計画通りに活動することを求められます。

私などは、あの計画を作ることそのものが大きっらいでした。

もちろん、数日で計画は意味のないものになっていました。


状況対応型でありながらも目標指向型として行動しなければならない環境にあったということができます。

自分が状況対応型であることなどわかりませんから、言われるままに行わなければいけないと思って活動しますが上手くいきません。

上手くいかないのは自分の能力がないからだと思い込まされますので、何とかやろうとしてモチベーションを上げようとしますがすぐやる気がなくなります。

目標を定めてそこに向かってまっすぐ進むことを良しとしていますので、そのフリをするのが大変でした。


無理に自分の感覚と反対のことをすることだけ大変なストレスになります。

それでも何とか活動しなければいけないと思い込まされているので、無理やりモチベーションを探すことになります。


自分に意にそぐわないことをやろうとするからモチベーションが必要になります。

やりたいことをやるときには後からモチベーションがついてきます。

モチベーションを必要とすること自体が、やろうとしていることが間違っているということの証ではないでしょうか。


やるべきことややらなければけないことに特殊なことはありません。

何をしていいのかわからなければ、やった人に聞けばいいだけのことです。

このことが理解できたときに気持ちがぐっと楽になりました。


「いつまでに何をしなければならない」は私には向かない方法だったのです。

わたしは、目標指向型ではなかったのです。

状況対応型なのに目標指向型の活動をしようとしたことが、いたるところで挫折を生み出して自己批判を繰り返していたのです。


ポジティブに考えて行動するということは、自分がどちらの型に寄っているかで大きく異なることになります。

目標指向型では前向きな目標話立ててまっすぐ向かっていく方向で考えて行動すれば、それがポジティブになります。

状況対応型では、漠然とした目的はありますがその場その場で情判断をして対応していくことがポジティブになるのです。


日本語感覚の基本形としての状況対応型はありますが、自分がどちらに寄っているかはじっくり見つめてみることが大切ではないでしょうか。

無理に反対の活動をして振る舞うことによって、かなり大きなストレスを抱えていることになります。

やる気のなくなる一番大きな原因のような気がします。

モチベーションを考えることが間違っていたのは大きな発見でした。


現代では、とかく目標指向型の成功者が大きく取り上げられています。

一直線に走っているようで論理的にとてもわかり易いからです。

また、目標指向型として扱った方が説明がつき易いからであり、いかにも再現性があるように見えるからです。

このことに気がついた時に本当に気が楽になりました。

わたしは違うのです。


目標指向型の人との協業も理解できるようになってきました。

不思議と自然に役割分担ができることもわかってきました。

もっと楽に行けそうですね。