パラグラフ(paragraph)という言葉は聞いたことがあると思います。
日本語としては「段落」として訳されているものになります。
もともとの日本語にはなかった概念であり技術です。
明治になって取り込んだ、外国語の技術です。
句読点の使い方においても、明治期の後半に文部省で基準が作られたものであり、江戸後期にはほとんど見ることができません。
やはり、明治期より数多く入ってきた外国語の表現技術に倣ったものと言えるのではないでしょうか。
それ以前に日本にあった文章の書き分けの技術は、分かち書きと言われる空間を利用した表現方法ではないでしょうか。
ひと筆書きとして文字を続けることができる縦書きの日本語は、続き文字の切れ目で文節や意味の切れ目を表現する技術を持っていました。
一つの意味として読ませたいものについては、空間を開けることなくひと筆で書くことによって読むための助けとしてきました。
英語の義務教育においては、日本と比較してはるかに多くの時間を表現技術のために割かれています。
日本語は、あまりも多い言葉と豊かすぎる表現のために理解すること自体がとても難しいものとなっています。
そのために、義務教育においては言語を理解するための読解の時間が中心となり表現技術・言語技術を習得するための時間がほとんどありません。
国語の試験として行なわれるものも読解と書き取りが中心となっているのはそのためです。
明治期に入ってきた外国語のパラグラフの技術を表面的には取り込むことができましたが、本来持っている効果として生かすことができていないのが現実です。
段落として、行を改め一文字下げることは誰でもが使うことができる技術なっています。
句読点の技術と一緒になることによって、文章としての日本語は見違えるほど読みやすいものとなりました。
しかし、そこで行われている行為はなんとなく行なわれていることが多く、明確な意図を持って句読点(特に読点)や段落が使用されているものを見ることはあまりありません。
書くことを本職としている人たちの文章においても、なかなか見ることができないのが現実ではないでしょうか。
内容にかかわらず、多くの文章が物語的なあるいは随筆的なものとなっているのは、まさしく日本語の持っている性格によるものではないでしょうか。
日本語の文章は長編ものには向かいないと言われることが多いのも、このあたりの技術によるものだとおもわれます。
英語の義務教育で行われるパラグラフの基本技術は、一パラグラフに一トピックを原則とします。
パラグラフの最初にそのパラグラフの要約(主題)を置くことも指導されます。
さらには、パラグラフ同士の関係によって論理を構成していくことを学びます。
結果として、一度述べたトピックは他のパラグラフでは扱わないことなどが、論理を明確にし説得するための技術として指導されます。
特に重視されているのが、事実と意見の書き分けです。
同じパラグラフには、事実の表記と意見表記が同居しないことが徹底指導されます。
パラグラフの先頭を見ただけで、事実を述べているのか意見を述べているのかが分からなければなりません。
各パラグラフの先頭だけを読みとばしても、全他の要約となっていて内容や論旨が分からなければならないのです。
一つの文だけでなくパラグラフや文章全体においてさえも、重要な要素が先頭から順番に直列的に展開されていくのが英語の表現技術となっているのです。
明確な論理の展開には、明確な意見の主張と明確な事実のエビデンス(検証)が必要です。
その一つずつの要素がパラグラフとしての塊になっているのです。
説得する対象によって調整するのは、相手に合わせた文としての表現とパラグラフのわかり易さです。
相手を説得するのには、どのパラグラフを先に持ってきたらより説得力を発揮できるのかということになります。
基本的な論理を変えることはありません。
日本語は英語に比べると、文学的な表現を楽しむことに向いている言語です。
一つの言葉に様々な意味を持たせたり、同じことを表すのに作者にの個性がにじみ出るような表現をしたりすることができる言語です。
言い換えれば、言葉を楽しむために適した言語と言えるのではないでしょうか。
直接的な明確な表現を敢えて避けることによって、読者の持っている理解力によって独自の解釈をされることを許す言語となっています。
作者の手を離れて読者の解釈に出会った時にはじめて作品として成り立つ、言語を介しての想像力の共作ということもできるのではないでしょうか。
その日本語の性格を知ったうえで、正確さや論理性あるいは説得力を必要とする場面においては、英語の技術をうまく使いこなしたいものです。
そのために一番役立つのがパラグラフの使い方ではないでしょうか。
英語は世界の共通語としての役割をますます強めています。
日本人であっても英語抜きの生活は考えられない環境となっています。
英語の技術を生かした日本語表現は、英語として表現するときにも大いに役に立つものです。
今の時代においては、伝わらないことよりも間違って伝わることの方が弊害が多くなっています。
パラグラフを意識してパラグラフで論理を組み立てることで、かなりのことが解消されるのではないでしょうか。
形式的に使っていた段落からパラグラフを使いこなすことへシフトしてみませんか。