2015年5月26日火曜日

悪文から学ぶ

何回か前にこのブログで取り上げた悪文の例があります。
(参照:黒いのは、目、女、子?

私は、井上ひさし先生の指摘されたものとして覚えていたのですが、35年以上前から使用されているモノだったようです。

初めてじっくり読んでみた、木下是男先生の「理科系の作文技術」の中にも全く同じ例文が取り上げられていていました。


修飾語のかかり方だけで8種類のパターンがあるこの短い文は、はたして文と呼べるものなのかどうかがまず問題になります。

「黒い目のきれいな女の子」というこの例文は、述語がありません。

文法的に解釈すれば名詞節ということになるのでしょう。

会話としては成り立ったとしても、日本語の文としては基本を踏まえていないことになります。

文としての格好をつけるためには、「黒い目のきれいな女の子がいる。」とでもしておく必要があるでしょう。


文法としての分析は膨大になりますが、日本語の文としてのルールは次の二つを押さえておけばいいだけです。
  • 述語が文末に来る。
  • 修飾語は修飾される語の前に来る(直前とは限らない)。
省略や語順の自由さがとても大きな日本語ではありますが、実用上のルールとしてはこの2点を注意しておけば自然な日本語となります。

日本語で特に気をつける必要があるのは修飾語の問題です。


省略されて分かりにくくなるくらいならば、くどいほどに同じ言葉を繰り返して誤解や曖昧さをとことん排除しようとする英語のスタンスとは大きく異なります。

説得するための言語としての基本スタンスの英語と、読者の理解力と感性にゆだねることの多い日本語の大きな違いが文の構図に出てきます。

曖昧さや誤解される可能性をとことんまで排除し、事実の積み上げによって自分の論理を理解させようとする言語の構図が英語の構図になっています。

日本語は常に読む人の合意を意識しており、どんなに断言したとしても何割かの読者の判断を残した表現になりがちです。

「・・・と思われる。」「・・・とみられる。」「・・・と断言できよう。」「・・・であると思われる。」などの表現が典型ですね。


さて、例文に戻って8種類の修飾関係を見てみましょう。

感覚的に、読み分けによって修飾関係を数え上げても5種類も見つかればいいところではないでしょうか。

まずは最初の作業は、文節の分解です。

慣れている人は簡単にできると思いますが、一つだけ注意が必要なところがあります。

「女の子」をきちんと二つの文節に分けられましたか?


黒い/目の/きれいな/女の/子 の五つの文節になります。

意味を考えてしまい、「女の子」として一つの言葉として捉えてしまうことが間違いのもとになります。

機械的に文節に割っていくことをした方が、間違いが少ないようです。


最後の「子」に至るまでの修飾関係にどのようなバリエーションがあるのかを考えることにあります。

自分より前の語を修飾することは出来ませんので、「黒い」は自分以外の四つの語のすべてを修飾できる可能性があることになります。

あくまで可能性といったのは、修飾したときに日本語として通じるものになっているかという検証が必要だからです。

「黒い/目の」「黒い/きれいな」「黒い/女の」「黒い/子」すべては日本語として成り立っていますので使用可能です。


次に、「目の」をみてみましょう。

自分より前の語は修飾できませんので、可能性としては「目の/きれいな」「目の/女の」「目の/子」になりますが、「目の/きれいな」以外は日本語として通用しません。

しかし、「黒い」を伴った場合にはどうなるでしょうか、「黒い/目の/女の」「黒い/目の/子」は意味の通る日本語になります。

もちろん、「黒い/目の/きれいな」は全く問題ありません。

「目の」を修飾できるのは、前に位置している「黒い」だけです。

その前の修飾語との関係まで考慮に入れなければなりません。


さらに、「きれいな」はどうでしょうか。

「きれいな/女の」「きれいな/子」とどちらも問題なく日本語として通じるものとなっています。


これらの修飾関係を図示したものが以下の8種類になります。



この例文が示されたときに、私たちの頭の中では8種類のうちのどれになるのかを考えることになります。

そのヒントとなるものは、前後の文脈になります。

つまりは、対象となる文以外の情報によって絞り込んでいかなければなりません。


素直に、ああそうかと「ふさわしい」ものが見つかればそれ以降の作業はしなくなるでしょうが、いつまでも「ふさわしい」ものが見つからないときは大変です。

対象となる文の読み直しをしてほかの読み方は出来ないかと考えたり、さらに前の文を読み返して関係を探してみたりすることになります。

あるいは、後ろの文を読んでみてつながりから判断しようとしたりします。

まさしく読んでいて疲れる文章とはこのようなものではないでしょうか。


いかにきれいな言葉によって飾られていたとしても、内容が解釈できなければ困り者です。

意味も分からずに流行りの歌謡曲を口にしている子どものようなものではないでしょうか。

実用文にあっては、このようなことは排除したいことです。


参考になるのは英語の文章です。

例題の内容を一つの文で表現するには、関係代名詞や前置詞が必要になります。

それよりも文章としてのメインの要素をどれにするかが大きな問題です。


「子」child(です)につけるべきもっとも重要な要素は何かということでメインの文が決まります。

「女の/子」ということになれば使う単語までもが変わってくることになります。(girl)


英語は前から順番に読んでいくことによって、重要なことから順番に登場してくることになります。

意味のつかみにくい代名詞は徹底的に嫌われて、悪文の代表のように扱われます。

代名詞よりはくどいと言われるくらい固有名詞を登場させることの方が当たり前になっているのです。


文章の目的にもよりますが、少なくとも実用文である限りは、誰が読んでも同じ解釈ができるものである必要があります。

そのための表現には、かなりの気を使って書かないと誤まった解釈の要素が沢山あるのも日本語の特徴となっているのですね。

読者に判断をゆだねることが多いということは、作者の意図が正確に伝わりにくいと言うことでもあります。


美しい文章と正確さはどこまで同居できるものなのでしょうか。

それは、文章の目的によって変わることなのかもしれませんね。

原著論文と文学小説の間に存在する日本語の文章は、無限のパターンを持ったものです。

上手に「ふさわしさ」を演出したいですね。