2015年5月14日木曜日

言語の役割って?

日本語の特徴について考えを巡らせていた時に、そもそも言語の役割とはなんであろうという問題にぶつかってしまいました。

言語の役割や言語の目的といったキーワードであれこれ検索したり調べたりしてみましたが、これといったものになかなか当たりませんでした。

細かなことを取り上げ始めたらきりがないのは分かっていますので、基本的な役割を考えてみたかったところです。

その中でも近いかなと思ったものがありました。

それは学習指導要領の中に見つけることができたものです。


平成20年度の答申によれば、言語は、
  • 知的活動(論理や思考)の基盤
  • コミュニケーションの基盤
  • 感性や情緒の基盤
とあり、補足的に「豊かな心を育むうえでも、言語に関する能力を高めていくことが重要である」とされています。

したがって、言語が異なることによってこれらの活動が異なることになり、同じ言語でもその習得内容や使える内容によって個人的にも異なることになると思われます。


さすがに学習指導要領だけあって、一番最初に知的活動の基盤が挙げられています。

一番わかりにくいのが、感性や情緒の基盤という表現ではないでしょうか。

一番わかり易いのは、コミュニケーションの基盤ということになるでしょう。


基本的な役割としては大筋で納得できそうですが、取り上げられた三つの内容についての切り口のレベル差が気になったところです。

補足的になされた記述についても、感性や情緒の基盤と豊かな心との関係が今一つ分かりにくいように思えました。


このブログでも、知的活動と言語については数多く取り上げてきていました。
(参照:知的活動と言語について など)

また、コミュニケーションについては、理解を求めるための伝達として達意の点から何回も触れてきました。

この二点ついては世の中にも技術論を初めとして様々なアプローチがなされており、広く一般的にも知れ渡っていることだと思われます。


しかし、この二点を追及していくとどうしても論理性や効率性といった、言語の面白さ的な「あそび」の要素が抜け落ちていく可能性が高いと感じています。

ここでの感性や情緒といった表現も、言語の現実的な実用面以外のところへも目を向けたいという表れではないかと思っています。

それを補足する意味でも「豊かな心・・・」の補足がなされているのではないでしょうか。
(参照:「あそび」の言語

そうしてみていくと、二つの実用面からみた役割と一緒にどうしても人としての感性や情緒的なことに関する役割を表現しておきたいという意図を感じることができます。

実用一辺倒の役割しか必要なければ、これほど豊かな語彙や自由度の高い文法による様々な表現方法を必要とはしなかったのではないでしょうか。

むしろ、限定された語彙に規則正しい文法があったほうがより効果的であったと思われます。


日本語が他の言語と大きく異なるところが、まさしくこの領域ではないでしょうか。

言語による「あそび」があらゆる時代や世代で、あらゆる文や会話で残されており継承されてきています。

ひとことで言い換えるとしたら、言語による芸術と言ってもいいのではないでしょうか。


絵画や彫刻などと同じように、言語による芸術も想像力の発現であり、鑑賞者の想像力を刺激するものです。

作者の想像力の表現に対して、鑑賞者の想像力が重ねられた時に初めて作品としての命が吹き込まれるものとなります。

文学だけではなく、本来は無機質な記号ともいえる文字そのものもが芸術として、絵画や彫刻など伝統芸術と同等に扱われているのは、他の言語では数えるほどしかありません。

そして、このことが実用的な役割である二つの基盤に対して、より豊かな言語としてのチカラを与えているのではないでしょうか。


芸術という表現は堅苦しいイメージを与えてしまうかもしれません。

「あそび」という表現は、軽薄なイメージを与えてしまうかもしれません。

実用的な二つの項目と表現をそろえて、敢えて三つ目の項目を言い換えるとしたら、「あそびや芸術の基盤」とでもなるのでしょうか。

自分の中では、このように置き換えるとかなりすっきりとした感じになります。


このブログを振り返ってみても、コミュニケーションとしての切り口からの内容も多くあります。

知的活動からの切り口の内容も数多くあります。

また、おなじように言語としての「あそび」や芸術としての内容も数多くあることが分かりました。
(参照:日本語の言葉遊び など)

そして、面白さにおいてはこの視点からの方が圧倒的であることもよく分かります。

むしろ、「あそび」や芸術(主に文学)によって日本語の言語技術が磨かれてきたことを考えると、この役割が思った以上に大きいのかもしれません。

自由さと豊かさは、ある意味では曖昧さと分かりにくさにつながります。

それだけにあらゆる環境において「ふさわしい」表現ができるように、これだけ豊かな言語になっていったのではないでしょうか。
(参照:言語環境の意識の仕方


「あそび」として生まれた言葉が、コミュニケーションや知的活動によって実用化されていき、芸術として継承されていく。

そんな循環も考えることができるかもしれませんね。

やっぱりすごい言語ですね、日本語は。