2015年5月13日水曜日

日本語の基本構造

日本語の特徴について考える時には、日本語についてだけ検討していても役に立たないことは分かっていることです。

特徴が特徴として成り立つためには、比較する対象があって初めてできることになります。

一般的に日本語の特徴を述べる時に、ミクロネシアの原住民の言語との比較によって定義することはありませんし、やってみたところで決して実用には向かないものとなることになるでしょう。


日本語が世界の言語のなかでどの様な位置づけにあるのかを考える時には、言語としての日本語を対象とするだけではなく、日本という国の世界における位置づけまでも考慮しなければならないことになると思われます。

日本は先進文化圏に属する国であり、五本の指に入る経済国であり、母語話者としての人口が世界の十指にはいる言語を持つ国となっています。

したがって、言語としての比較対象も先進文化圏に属する経済国の言語であってこそ、その特徴がより実用性のあるものとなるのではないでしょうか。


その対象とすべき言語は、欧米型言語ということになり、そのほとんどの言語がラテン語から派生した言語となっているものです。

言語としての成り立ちを見てみただけでも、全く独自の発展を遂げてきた日本語とは大きく異なった性格を持っているということができます。

ここでは、日本語の持つ文章としての構造の自由さについて見てみます。

文章の構図の自由度は、思考としての自由さにつながるものではないかと思われます。

思考としての自由さは、思考の柔軟性と言い換えることもできると思います。

この構造の自由さが、規則正しい構造によって成り立っている欧米型言語の使用者から見ると、曖昧さとして映る大きな要因にもなっているものです。


欧米型の言語と言ってもいくつかありますので、ここでは世界の共通語としての立場を確固たるものとしている英語との比較で考えてみたいと思います。

欧米型言語の代表としての英語との比較における特徴は、そのまま欧米型言語の他の言語にも当てはまるものと推察することができると思われます。

まずは、一つの例文を取り上げてみましょう。


彼は友人たちと昨年の冬休みに神話の香りが漂う出雲の街を訪れた。

ここでは、敢えて読点を用いずに表記していますので、読みにくさと分かりにくさがありますが、立派に日本語として成立している文章です。


まずは、理屈よりもこの文章を英語の構造にしてみましょう。

いわゆる、S+V+Oという形が基本ですね。


基本的な並びは、重要な役者ほど前に来ると言うことができます。

主語+動詞+目的語+状況補語(場所や時間を示す)の流れが直列型になり、例文で言えば「彼は+訪れた+出雲の街を」で一応完結していることになります。

それ以外は追加情報であり、出雲の街がどんなところかを説明したければ「神話の香りが漂う」を添えればいいことになります。

これらの語群を下につけたのは、あくまでも副次的なものであることを明示したかったためです。

「誰と」が問題になれば「友人たちと」が追加されることになります。

「冬休みに」も「昨年の」についても同じことになります。


この構造は発話者の思考の過程にそった順番になっているわけです。

実際に日本語として文章化するときには、わかり易さや文体的な配慮から「彼は/訪れた/友人たちと/昨年の冬休みに/神話の香り漂う出雲の街を」となるのではないでしょうか。

彼らの言語においては、長い語群を後ろに置いた方がおさまりがよくなっていると思われます。

文章を頭から順番に聞いていれば、大切な要素が順番に入ってくるので、、文の流れが途中でも読める(予測できる)ものとなっています。


日本人が英語を使おうとするときに、このような語順がスッと浮かぶかどうかがカギになると言われています。

日本語で伝えているのですが、語順が英語と同じものになっているために直訳でもわかり易い英語になるからです。

特に同時通訳を意識した場合には、このような語順の日本語はそれだけで誤解を防ぐ大きな助けになることになります。


さて、日本語の構造を見てみましょう。

日本語の文章構造のルールは、基本的なことは二つしかないと思われます。
  1. 名詞、動詞、形容詞、形容動詞などの述語が文末に置かれる。
  2. 修飾語が被修飾語の前に置かれる。

例文を見てみれば分かるように、すべての要素が述語に向かっていることになります。

そのために語順に対しては読みにくさや分かりにくさを抜きにしてしまえば、どのように並べても構わないものとなっています。

同じようの図示すると以下のようになります。

欧米型言語の直列型に比べたら、明確に並列型ということができます。

また、このようにすることも可能です。

違いは、前の方が述語につながる語群を短い方から順番に並べたものであり、後の方は同じ語群を長い方から順番に並べたものとなっています。


英語は語順に対して厳しいので、ほぼ一定した形になりますが、日本語は語順が自由だからいろんなバリエーションがあり得ます。

そのうちの二つを示したにすぎません。

「訪れた」は述語ですので絶対にこの位置をはずすことは出来ません。

また、述語さえあればとりあえず日本語としては成立するということでもあります。

どの情報がどんな順番で展開するかは問題にはならないことになります。

つまりは文の展開が予想できないことになります。


文末に来る述語である「訪れた」以外の情報はすべて横並びになります。

したがって、各々の情報のどれが落ちても文としては成立してしまいます。


これらのことが自然と頭の中で行なわれているのです。

日本語の感覚は、並列型に扱うことに慣れていると言ってもいいのではないでしょうか。

並列型にこそ日本語の感覚の特徴があると思われます。


しかし、並列型は一歩間違うと曖昧さを生むことになります。

それはわかり易さによって解消するしかないことです。

実際の文章にした時に二つの並列型を比べてみましょう。

「彼は友人たちと昨年の冬休みに神話の香りが漂う出雲の街を訪れた」

「神話の香りが漂う出雲の街を昨年の冬休みに友人たちと彼は訪れた」

どちらがわかり易いものになっていますか。


下の方が分かり易くなっていませんか。

その違いは、言葉に出して読んだ時にさらに鮮明になります。

声に出して読むことを助けるために、読点「、」が存在しています。

読点は、意味の切れ目でもあります。


上手に使われた読点は、読むうえでもわかり易さにおいてでもとても役に立つものですが、一つ間違えると迷わせることにもつながってしまいます。

読点の役割と使い方については、あらためて検討する機会を持ちたいと思っています。


以上のことからわかるように、日本語を日本語らしく使っていると、欧米型言語の感覚から見た理路整然ということが苦手になるのは仕方のないことだと思われます。

順番や優先順位をつけることが苦手なことが、文の構造からも理解できるのではないでしょうか。

大小さまざまなことを同時に扱っていくことに長けていることが、日本語の特徴として挙げられそうですね。

また新たな特徴が見えてきたようです。

面白いですね、日本語は。