2015年4月29日水曜日

字余りに見る四拍子の確認

昨日のブログでは日本語のリズムが、拍にあることを見てみました。
(参照:日本語のリズム

アクセントや抑揚が、他の言語ほど明確に存在しない日本語にとっては、音のリズムがとても大きな要素を占めているものとなっています。

同音異義語が数えくれないくらい存在する日本語にとって、話し言葉として少しでも理解を助けるためには、同音異義語であってもリズムによって差異を付ける工夫もされてきたと思われます。


リズムを安定したものとして作り上げてきたのが、和歌ではなかったでしょうか。

長歌や長恨歌、旋頭歌などの七五調の繰り返しの最後を、それまでの繰り返しとは違ったリズムにすることによって完結させた語術など、音としては理解できなくともリズムとしては受け入れやすいものとして作り上げてきました。


更には、あまりに綺麗に整いすぎたリズムの繰り返しを決して美しいものとしては捉えることなく、そのリズムをうまく崩しながらも基本の四拍子からは外さないところに美しさを見つけてきたと思われます。


そのためには、リズムを整えるために使われたと思われる文字や音がいくつか存在します。

あるいは、同じ言葉ではあるのですが、その読みにおいてリズムを整えるための工夫が見受けられるものも存在します。

たとえば、東という言葉を音にした時に「ひがし」と呼んでしまえば三音ですが、「ひんがし」と読めば四音としても使うことができることになります。

ましてや「ん」の音は、文字としては表記されることのなかったものですので、リズムを整える上ではとても便利なものではなかったと思われます。


リズムを作る技術は、休符を使いこなす技術であるということができます。

先回の例を、もう一度取り上げてみます。

芭蕉の句です。

古池や かわず飛び込む 水の音





四拍子を八分音符でリズムを取っていますので、上の句、中の句、下の句で3小節となります。

これが短歌であれば、5小節となるところです。

八分音符一つずつに音を当てはめていくと、上手のようになり「・」の休止の場所を割り当てられたリズム通りに間を取ることによって、ベストのリズムが生まれてきます。

したがって、どんなに字余りを使ったとしても、その限界は音としては8音(8文字)までとなります。

9音以上の言葉は、1小節では収まりきらなくなりますので、上の句や中の句、下の句に分解して表現することになります。


中の句の7音には、休止を入れることが可能な場所が三か所あります。
「・かわずとびこむ」「かわず・とびこむ」「かわずとびこむ・」の三か所です。

「・」のところで一息ついて声を出して読んでみてください。

意味を考えたり情景を映すためには、何処に間を持ったら一番ふさわしいでしょうか。

やはり、「かわず」から最後まで一気に行きたくなりませんか。

そのためには「ふるいけや・・・」でとった間にさらに勿体つけるように間を取ってから、一気に読み切りたいところですね。


有名な俳句で字余りの多い句を取り上げてみましょう。

すずめのこ そこのけそこのけ お馬が通る (小林一茶)

同じようにリズムに当てはめてみると以下のようになります。





中の句が8音ありますので、中の句には休止がありません。

そのために、中の句から下の句までを間をおかずに一気に読んでしまうことが、一番リズムがいい読み方になります。

下の句も字余りですが8音の中に納まっていますし、最後に休止がきていますので、この字余りはほとんど気にならないのではないでしょうか。

先の「ふるいけや」と比較して読んでみると、上の句と中の句の間が、「すずめのこ」の方が短い方がリズムがいいことに気がつくと思います。

日本人が歴史文化のなかで伝承してきた四拍子が私たちの体にも感覚として染みついている証拠ではないでしょうか。


更には、俳句としての型を壊したと言われている種田山頭火の句を取りあげてみたいと思います。

もはや俳句とは言えないものとなっているとよく言われるものですが、そのリズムを拾ってみればやはり俳句であることが分かると思います。


どうしようもない 私が歩いていたよ

五七五の形はほとんど無視されたものであり、どこが句としての切れ目なのかすら分からないものとなっています。

これを八分音符のリズムで割り振ってみると以下のようになります。





息継ぎをする間もなく、一気にすべてを読み切ることがこの句の読み方となるのではないでしょうか。

試しに、どこかで息継ぎをして読んでみてください。

何処で息継ぎをしても、リズムとしては気持ちの悪い不自然さを感じるのではないでしょうか。


同じく山頭火の句で、教科書にも出ていたと思われる句を取り上げてみましょう。

リズムを整える音としての促音便(小さな「っ」)の使い方が見えると思います。


分け入っても 分け入っても 青い山





素直に音を音符に当てはめると上のような調子になるのではないでしょうか。

この通りに読んでみると、どうもうまくリズムが取れません。

何だか間の抜けたような感じが伝わってしまいます。

「分け入っても」が6音ですので、5音には長く7音には短い音になります。

本来は5音のリズムと7音のリズムのところに、同じ音数の同じ言葉が来ていますので、どうしても五七五のリズムが出にくくなっているのです。


そこで以下のように読んでみてはどうでしょうか。





中の句の「わけいっても」を「わけいいっても」と7音で読んでみました。

俄然、リズムが出てきませんか。

前のリズムに比べるとピタっとはまった感じがしませんか。


ついでにもう一ついきましょう。

まさしく促音便の読み方のひとつです。





今度は上の句も「わけいっても」を促音を「い」と一緒にしてしまうことによって1音にしてしまいました。

こうすると、「ふるいけや」と全く同じリズムで五七五になってしまいます。


文字として表わさない読み方は、今でも思った以上にあります。

「ん」は今ではほとんど表記しますが、小さな表記の「っ」や「ゃ」「ゅ」「ょ」は一音とも二音とも読むことが可能になっています。

また伸ばす音としての「う」の使い方は、何音分として使うかは比較的自由に使えるものとなっています。


こんなことは文法では決められないことですね。

文字で表せないリズムは、私たちの感覚の中に伝承されているものなのではないでしょうか。

日本語として伝承されている限り、みんなが近いリズム感覚を持っていると思われます。

音になった時の日本語の美しさも継承していきたいものですね。