日本語のリズムの基本が七五調と言われる、七音五音にあることはご存知の方も多いのではないでしょうか。
交通標語やコピーライティングにおいても、意識して使われることがあるくらいになっているものです。
美しい日本の言葉を美しい音で表そうとするときの、言葉の区切りとしても使われることもあります。
このそれぞれの七音五音の中にもリズムがあることを気づかれている人はいるでしょうか。
俳句の五七五を例に挙げてみましょう。
古池や かわず飛び込む 水の音
綺麗に五音七音五音で成り立っている句です。
よく見ていくと、上の句の五音についてもリズムがあることが分かります。
外国語のようなひとつの音に対して長短のリズムを付けている、いわばモールス信号のようなリズムではなく、短い音を続けざまに発する機関銃のようなリズムとなっています。
外国語の話者が聞いた時に、日本語のことを「ダ、ダ、ダ、ダ」と真似することがよくあるように、単調なリズムです。
更には、音の高低や抑揚については、外国語のアクセントのような明確なものがありませんので、きわめて平坦に聞こえるものとなっています。
その中でリズムを取るためには、拍を意識することになるのではないでしょうか。
日本人が音楽に対して持っている基本的なリズムがあります。
それは四拍子です。
敢えてリズムを意識して作らない限りは、ほとんどの曲が四拍子になるはずです。
七音や五音を四拍子で表すには、四分音符では足りませんので八部音符を使って一小節に8つの音を振り分けることを考えればわかり易くなると思います。
先ほどの俳句を当てはめてみましょう。
ふるいけや・・・ かわず・とびこむ みずのおと・・・
中の句については、「・かわずとびこむ」でも構わないと思います。
「・」の休止を同じリズムで意識した方が、よりわかり易く聞こえないでしょうか。
短歌についても見てみましょう。
世の中に たえてさくらの なかりせば 春の心は のどけからまし (在原業平)
よのなかに・・・ ・たえてさくらの なかりせば・・・ ・はるのこころは ・のどけからまし
日本の抑揚のない機関銃のように単調な音にリズムを与えるために、七五調というリズムの変化を与えたのではないでしょうか。
そのままの四拍子(八音)に、そのまますべて音を当てはめてしまえば、何を言っているのか全く分からないものとなってしまいます。
少し長めの音である十二音を使うこともありますが、この場合は五七音にはならずに、必ずと言っていいほど七五音のつながりになります。
綺麗な五音の後に入る一泊半の休止が、次に続く言葉のつながりを許していない形となっています。
七音の場合は、頭に休止が入るために後に言葉を続ける場合には息継ぐまもなくつながることになります。
松尾芭蕉や斉藤茂吉は、俳句のきれいすぎるリズムは決して作品としてはよいものではないとしており、四泊のリズムが裏にあることを分かっているような発言をしています。
単調になりやすい日本語に、意図的にずらしたリズムや「ため」や「はずし」を使うことで、さらに大きなリズムや変化を生み出していることに気がついていたようです。
現代の日本語には、「ため」や「はずし」を意識する場面をあまり見ることができません。
単純な四拍子が繰り返されており、リズムを感じる余裕を失っているようです。
時として触れる俳句や和歌のリズムに、広がりを感じるのはわたしだけではないと思います。
現代の歌においても、日本の歌で広がりを感じるものが少なくなっています。
上で取り上げた俳句や短歌は、そのままリズムをつけて歌にすることが簡単にできます。
休符を含めてそのまま楽譜にすることも可能です。
歌になった時でもしっかりと言葉が伝わるリズムとなっていることは、この時点でわかりますね。
日本語の基調は極めて単調な四拍子にあると思います。
現代の歌は字余りを含めて単純な四拍子の中に言葉を埋め込んでいるので、面白くないのではないかと思われます。
休止(休符)をうまく使うことによって、しっかり言葉を伝える歌であってほしいと思います。
単純な四拍子を少し崩したところに、日本語の独特のリズムが生まれてきています。
美しい、面白いと感じる感覚は、今も昔も変わらないものとして同じように継承されているのでしょうね。